上の文字は読めますでしょうか?「ギャップ」と読むんですねえ。「空気」←これは読めますでしょうか?これを「からけ」と読む人は僕と同じ人種でニ重の意味で読めてないのでご注意くださいww
あのー昨日とか今日にジャスミンとか江莉の誕生日を祝う記事が少ないのはまあ年代のこともありますしね、なによりみなさん学校始まってるわけですからそれはそういうものなのかななんて思ったりしたんですけど。
昨日は何より脳内リサーチ関係の記事が方々で殺到しててね。特にみんな手紙については熱く書いててこんなに多くの人が感動したってすごいなあと思いました。
そんな中で「脳内リサーチ」という点で言えばね。個人的に言えば「宇宙人と交信」が一番興味深かったかなあと。この辺がひねくれ者の僕とみんなで結構ギャップ感じてたり。
要するに解釈の方法が幅広い題を与えてそこに完全に個の空間の中でどう行動していくかという手法ね。あれ見てる時の僕は天てれの視聴者という以上に人間観察好きのひねくれた人間になっちゃってたのかなと。だからあれだけで何回も見直して一個の記事にしたかったくらいですね。
ちなみに昨日の記事では視点としてグループ分けをすることでそれぞれの状況を整理しやすくしたけど解釈については長ったらしくなるから書かなかったんですよね。視聴者がそれぞれ意味を持たせればいいかなとも思ったしね。だからまあ僕の解釈の仕方をちょっと時間がある今書いておこうかなと。
たとえば途中で素になってしまうというのはカメラが回っているのは自覚があるはずだから、そこでどうしても抽象的なところで答えが出せなかったからかな。照れとかとはまた違うと思うしね。より現実的なものに目が生きやすくて、それでいて嘘がつけないような人だとこうなるかな。
あと「交信」を一方通行的にしたか双方向ととらえたかって所ね。これは交信の表現というものを「手段」としたか「状態」としたかってことだと思うんです。自分の実際のコミュニケーションについて想起したときにどう思い出すかの違いに近いと思う。
どっちがいい悪いではないんですよね。たとえば一通な表現をした人は悪い印象を与えてしまった時とかに自分にその原因を帰結しやすかったり、双方向の人だとそれが全体の場の中から問題を抽出しようと考えやすかったりとかね。それは個性ですから。
無言で表現をしていたのは昨日書いたとおり「テレパシー」の言葉を軸として読みとった。確固とした答えのない概念が多い中で一番イメージが自分の中で固定しているものを中心としたんですよね。これは賢さとも言えるし「より正しい答え」というのを求めているんじゃないかとも考えられる。
言語に日本語を使った人はそれを見る側に説明するという意識があるよね。表現者として相手への分かりやすさが念頭に入ってるということだし、意味不明な言葉を使った人はある意味で日本語と無言の中間にいると言える。そういう側面で言えば一通の表現をした人は無言や意味不明な言語を使う人が多くて、双方向の人が日本語が多かったのはうなづける話かなと。
そういった中でひかりと奈々は題に対してもう一段階抽象度が高いところにいるなあと。テレビ的な時間と画を想定できてるような奈々も凄いけど、ある意味で「見せる」ことをまったく意識しないひかりも凄いと思った。この二人は違った意味で読めないなあと。
まあ以上は僕の勝手な解釈なので妥当性もへったくれもないですwwwでもこういう風に行動から共通項と相違点をあぶり出していって解釈していくのは僕からすればすごい楽しい。
ただよっぽど性格がひねくれていて内省的で、人の弱さを否定できないような人じゃないとねwwwわざわざこんなんしないですよ。心理学の教授とかそんな人ばっかりなんですよね。だからある意味で僕今の大学の専攻は居心地いいですww
さて、相も変わらずとっちらかった記事を書いたところでwwwおとなしく木生を待ちましょうかね。
あのー昨日とか今日にジャスミンとか江莉の誕生日を祝う記事が少ないのはまあ年代のこともありますしね、なによりみなさん学校始まってるわけですからそれはそういうものなのかななんて思ったりしたんですけど。
昨日は何より脳内リサーチ関係の記事が方々で殺到しててね。特にみんな手紙については熱く書いててこんなに多くの人が感動したってすごいなあと思いました。
そんな中で「脳内リサーチ」という点で言えばね。個人的に言えば「宇宙人と交信」が一番興味深かったかなあと。この辺がひねくれ者の僕とみんなで結構ギャップ感じてたり。
要するに解釈の方法が幅広い題を与えてそこに完全に個の空間の中でどう行動していくかという手法ね。あれ見てる時の僕は天てれの視聴者という以上に人間観察好きのひねくれた人間になっちゃってたのかなと。だからあれだけで何回も見直して一個の記事にしたかったくらいですね。
ちなみに昨日の記事では視点としてグループ分けをすることでそれぞれの状況を整理しやすくしたけど解釈については長ったらしくなるから書かなかったんですよね。視聴者がそれぞれ意味を持たせればいいかなとも思ったしね。だからまあ僕の解釈の仕方をちょっと時間がある今書いておこうかなと。
たとえば途中で素になってしまうというのはカメラが回っているのは自覚があるはずだから、そこでどうしても抽象的なところで答えが出せなかったからかな。照れとかとはまた違うと思うしね。より現実的なものに目が生きやすくて、それでいて嘘がつけないような人だとこうなるかな。
あと「交信」を一方通行的にしたか双方向ととらえたかって所ね。これは交信の表現というものを「手段」としたか「状態」としたかってことだと思うんです。自分の実際のコミュニケーションについて想起したときにどう思い出すかの違いに近いと思う。
どっちがいい悪いではないんですよね。たとえば一通な表現をした人は悪い印象を与えてしまった時とかに自分にその原因を帰結しやすかったり、双方向の人だとそれが全体の場の中から問題を抽出しようと考えやすかったりとかね。それは個性ですから。
無言で表現をしていたのは昨日書いたとおり「テレパシー」の言葉を軸として読みとった。確固とした答えのない概念が多い中で一番イメージが自分の中で固定しているものを中心としたんですよね。これは賢さとも言えるし「より正しい答え」というのを求めているんじゃないかとも考えられる。
言語に日本語を使った人はそれを見る側に説明するという意識があるよね。表現者として相手への分かりやすさが念頭に入ってるということだし、意味不明な言葉を使った人はある意味で日本語と無言の中間にいると言える。そういう側面で言えば一通の表現をした人は無言や意味不明な言語を使う人が多くて、双方向の人が日本語が多かったのはうなづける話かなと。
そういった中でひかりと奈々は題に対してもう一段階抽象度が高いところにいるなあと。テレビ的な時間と画を想定できてるような奈々も凄いけど、ある意味で「見せる」ことをまったく意識しないひかりも凄いと思った。この二人は違った意味で読めないなあと。
まあ以上は僕の勝手な解釈なので妥当性もへったくれもないですwwwでもこういう風に行動から共通項と相違点をあぶり出していって解釈していくのは僕からすればすごい楽しい。
ただよっぽど性格がひねくれていて内省的で、人の弱さを否定できないような人じゃないとねwwwわざわざこんなんしないですよ。心理学の教授とかそんな人ばっかりなんですよね。だからある意味で僕今の大学の専攻は居心地いいですww
さて、相も変わらずとっちらかった記事を書いたところでwwwおとなしく木生を待ちましょうかね。