私は今日まで 生きてみました。
時には誰かの 力を借りて。
時には誰かに しがみついて。
私は今日まで 生きてみました。
そして今 私は思っています。
明日からも こうして生きて行くだろうと。
私は今日まで 生きてみました。
時には誰かを あざ笑って。
時には誰かに おびやかされて。
私は今日まで 生きてみました。
時には誰かに 裏切られて。
時には誰かと 手をとり合って。
私には 私の生き方がある。
それは おそらく自分というものを。
知るところから 始まるものでしょう。
けれど それにしたって
どこで どう変わってしまうか。
そうです わからないまま生きて行く。
明日からの そんな私です。
私は今日まで 生きてみました。
私は今日まで 生きてみました。
私は今日まで 生きてみました。
本日、勤めを終了したしました。
沢山、助けて頂き、また愛を頂き働けました。また新しい場所で働く私を送り出して頂きました。
働きながら「生きる」「死ぬ」について自問自答してきました。
沢山の死に目に会いながら。
「死ぬのが怖い。」
沢山聞いてきました。
しかし、人は忌の極に恐怖や不安は口にしない事も分かり始めました。
人は死ぬ事が怖かったり、不安に思うのではなく死ぬかもしれない。そう思い生きる時間にこそ恐怖する。
「死ぬ」とは「生きた時間」の事ではないか?
「生きた時間」に後悔はあっても悔いの無いよう生きた時間こそ、人は強く死ぬ事が出来るのだと働きながら答えを出しました。
「生きた時間」を明確なものとする義務が医療にはあると思うのです。
未来に不安を残す医療行為は、不安を逆手にとった詐欺である。これが私の信条です。
昨日と変わらない今日。今日と変わらない明日を。私は、この仕事が好きです。
皆さん。ありがとうございました。