私は日本人のあっちこっちで言われている海外での不評について、ほとんど興味はなく、今まで知りえていない状態だった。
と言うか!?その方向は趣味に費やしていたようだ。
その興味の方向を変えたのはブログと言うものをやり出してからだった。
この場所でブログのことを書くのはおこがましいけど、日本人の性格について、再吟味を与えたきっかけとなったものだ。
不愉快と思う方はこの部分を読み飛ばしてかまわない。
某ブログサイトの簡易評価システムに「GOOD!」と言うものを見受けた。
そのシステムは優れたと思った記事に一つだけ着けられるボタン式のものだった。
その「GOOD!」だけども私自身であっちこっち訪問して見ると、公平な評価をしているとは思えないところを、申し訳ないけどたくさん見受けた。
簡易評価だから別にいいわけだけど、記事は一つもなく題名だけ書いて、「GOOD!」をいくつも貰って星マークを羅列していたブログをいくつも見受けた。
この状態を見たときいらぬ正義感をこみ上げらせて質問コメントを入れたいほどだった。
「この世界の表に出ない悪魔!!アマゾン版」をよろしく。サービス価格で300円程度で求められる値段です。
その逆もあって社会的問題を深く掘り下げているブログにも拘らず、まったくコメント他の足跡を残されずにいたものさえも多くあった。
そのとき考えたものは!?
単なる日記程度のものへ多く足跡を残していたのを見ると!?
足跡と言うより、無難と思える場所に、自分の宣伝を目的で足跡を残すような、ポータル的使い方をされているんだなと邪推してしまった。
これではフェアな評価と言えない。
もちろん興味を引かせる目的だけの色物サイトを敬遠するんだったら分かる。
けれども真面目様相で問題を訴えているブログを敬遠するのはよくない。
結果なんでもない記事だけ評価を受ける結果となると思う。
言っとくけど多く「GOOD」を着かせているから何でもない記事と言うわけではない。
すべてそのような記事だと言うんでないから誤解をされないよう断って置こう。
更にだ!
ブログを更新したとき、誰か先着で足跡を残さなければ、自分も足跡を残さない方も多く見られるようだ。
足跡を残されないものと、足跡を残すものと、極端に走っているものを多く見受けるのはある原因によってのものだと思えてならない。
同調圧力だ。
もちろんそう言うものの影響を受けない健全と言える方だって多くいると思う。
だけどもそのようなネガティブ的要素は、よく国民性と言う状態で、烙印を押される結果となる。
そのいらぬ国民性をつくり上げたのは日本の古代からの仕来りとも言える。
けれどもその仕来りは助け合いと言うほのぼのした社会性を生じさせて、戦前まではよい状態となっていた。
例えば何処何処の誰さんはまだ独身だからもう一人の娘っこを紹介してやろう!!とか!?
だから余程のことはない限り独身でいると言うのは有り得ない。
そのときまではよい村!?だったのだ。
だけどもある時期から村の良い社会性は歪曲をされてMURAと言う状態となった。
その背景に見え隠れするのはGHQプロデュースの戦後教育だったのだ。
大概はそのオクパイした国の文化を一方的状態で押し付けることとなる。
例えばだ。
アメリカだったら日本語を廃して英語を押し付けたり服装さえも洋服以外は禁ずるとか。
だけどもアメリカはそのどっちもやらないでいた。
天皇制さえも残して、一時はアルファベット化をされそうだった!?日本語も残してくれた。
更に子供らにチョコレートをくれた。
やっぱりアメリカは民主国家だと、そのときの日本人は微塵も疑わない状態だったと言えよう。
更にマッカーサーは日本を去るとき、多くの国民は悲しんだと言う、笑うに笑えない事実だってあった。
では!?アメリカは日本へ戦後の処置と言う名目で何をやったと言うのだろう?
その場所にWIGPを働かせていたなど国民は微塵たりとも思わないでいたろう!!
清朝は僕は二度と逆らわないようある部分を切断して中性の状態に変えた。
宦官とはこのようなものだった。
アメリカは日本は二度と海外侵攻をされないようWIGPによって教育を改悪した。
武士道を排除して村と言うシステムを残した。
残したどころかその至らないところを更に助長させて自主性を損なうようにしたのだ。
制服教育=征服教育だったのだ。
ある学者の話だと健全と言える自我の成長時期は12歳くらいからだとかおっしゃっている。
その時期は出来るだけ自由な教育を施すといいと言う。
アメリカはそうだった。
けれどもだ。
日本へもそのような教育をすると思いきや!?
その時期に身を制服に包ませて、縦社会と横社会の!?極端と言えるヒエラルキーを押し付けたのだ。
よってその教育を受けた若者は人の表情を伺い、けして自己主張しないソフトと言える人格に育った。
御用教育評論家は教育の開化と呼んだろう。
しかしだ。
自己主張をするものなら、周辺は結束して、その者へ襲い掛かるようなインプラントをも施したようだった。
この場所まで読んでお分かりだろうけど、日本でいろいろ生じている事件の基礎は、こう言うところから出ているんではないだろうか!?
古来からの村のえげつない部分を増長させてMURAと言うシステムを構築したように見受ける。