ジュリアナ復活と聞き慌てて欲しくもない2500円のCDを買い、

それに封入されていたチケットを握り締め行ってきました。

途中、サッカー部の後輩くんの結婚披露宴の二次会があったので、

まずそれに魂を込めて出席。

そしてそのついでとしてジュリアナイベントへ流れました。

僕的には3次会がジュリアナイベントです。
その為、21時30分過ぎに到着だったのですが、当然ですが入れませんでしたね(泣)

本来野球場等でやるくらいのイベントでしょうこれって!(怒)

到着してすぐ、本当に5秒で諦めました(笑)

中に入ってもないのに言うな!と言われそうですが(汗)


ただあれはあくまでジュリアナ東京一夜限りの復活イベントであって、

僕の見た「ジュリアナ東京」ではありません。

入ってないので感想もコメントもないですが、ただただ言いたいのはそれとは違うよ!ということです。

当時のジュリアナ東京は、そこにいた人にしか本当にわからない、

それぞれが感じていた「良さ」があったということ。

これは当時体験したことのある方々はきっと忘れないことでしょう。

良い思い出としていつまでもしまっておいてほしいものです。


ディスコで全国を制覇したマハラジャの経営訓示の中に、夢・華・錯覚という言葉がありました。

(何で知ってんだ?と言われそうですが、まあいいじゃないですか!・・・汗)
それを超える?、どうやってもあの時代の良い頃の雰囲気や憧れっていうもの、

そうだな、煌く憧れというべきかな?それはマハラジャの夢心地みたいなものを超えると思っていました。

そして僕的には、僕の思うあの当時の「ジュリアナ東京」はもうどうやっても二度と再現できないと思っています。

それはその時代そのものであり、金や物では作り出せない、企画ではないからでしょう、

その当時の人たちが創造してきた空気そのものだからだと僕は思っています。

パッケージを真似ることができても、コピーができても、

本物が一つしかないならば、それはその一つしかないものであるから、と言っておきましょうか。

僕の場合は、「憧れ」のすべてがそこにありました。

そしてその時期にその感情がピークにあったということでしょうか。


昨日ジュリアナ行ってきたけど大したことなかったよ!つまらなかった!

という若い人達もたくさんいるでしょう。

それは、当然です。

物量、情報量は当時とは今では桁が違います。

今の方が豊富で溢れかえっている、

だから本物を掴むことができにくいのではないでしょうか?

また体験していることやもの、

家庭や社会環境、教育現場で見たり聞いてきたりしたことやものの、

それら全ての重さが違います。

ここは重い軽いで行きましょうか!

はい、軽すぎです!!!

情報ツール一つとっても、

当時は、携帯もネットもなかった時代です。

当時の携帯電話の基本料が19500円であまり通話しない僕でも3万円でおつりが来ないような時代です。

ただの田舎の見栄っ張り男でしたね。(汗)


このイベントに何を期待して行くかにもよりますが、

その頃の雰囲気を少しだけ味わうことは可能でしょう。

行ってみてつまらなかったというのは、それはそれぞれ仕方がないとしても、

ジュリアナ東京が大したことなかったよ!と今の時代の人たちが言うならば、

「まあそれはそれでよろしかろう・・・」と、仏のような気持ちでいます。(笑)

そもそも今のそれらと争うレベルに、その域にありません。


入りたくてあの蒸し暑い中に行列を作っている歩道の人達の横で、

一緒に表参道より同乗した3人の当時を知らない友人女性たちが、

目の前で並ぶ人たちの多さに圧倒されるなか、

車の運転席では、この諦めるまでの5秒間で当時を思うのでした。


あの頃はあの頃であって、今は今であると。


僕は好奇心で生きてるなあ。


最後に、数年間ここを見てくれている方々はもうわかると思いますが、

僕は今回のイベントに入場できなくてよかったと思っています。

強がりではありません。

その理由は、

「ジュリアナ東京」は僕の心の奥に今もあり続けるから。

当時の人達の心の中にあるように・・・


ありがとう~ ジュリアナ東京~♪

さよならベイビー