横浜・上大岡の美容室 ヨコタコーポレーション社長のブログ
Amebaでブログを始めよう!

プロフィール


横浜の美容室、美容院  株式会社ヨコタコーポレーション

 代表取締役 横田徹

 1995年 板前から美容師に転身
 2001年 横浜の関内に美容室をオープン
 2003年 有限会社フレアジャパン設立
 200_年 ヨコタコーポレーション代表に就任
 2011年 現在、神奈川県で16店舗サロンを運営
















動作チェック

動作チェック

「美容室社長列伝」取材記事

弊社代表の横田が「美容室社長列伝」に取り上げられました。取材された記事を紹介致します。

横浜の美容室、美容院




≪27歳まで銀座やホテルなどで寿司を握ってました≫



横浜の美容室、美容院 リポーター(以下リ現在の会社を立ち上げるまでにどんな事がありましたか?
横田(以下横):実は僕はもともと寿司職人だったんだよね。小さい頃からものづくりが好きだったので、自動車メーカーに勤めたりもしていたんだけど、自分のお店が持ちたいという思いから板前の世界に入り、修業をし、27歳まで銀座やホテルなどで寿司を握ってましたよ。


リ:面白い経歴ですね。どういった経緯で美容室の経営を始められたんですか?
横:実は今の会社は妻の父が経営していた会社でした。僕はそれを引き継いだのですが、現在に至るまでには色んな葛藤があったんですよ。


リ:詳しく教えて頂けますか?
横:妻とは19歳のときからの長い付き合いで、当時は美容室の業界にうとかったですし、自分で立ち上げたいという思いがありましたので、妻の父から話を持ちかけられる事もあったんですが、断っていました。


リ:その後、すぐに美容業界に入られたんですか?
横:いえ、ちょうど27歳のとき、横浜のある物件で寿司屋を出さないかって話があって、その時はもう結婚してましたから、女房とも出店するお店の打ち合わせしていたんですが、女房に夜遅くまで接客をさせたくなかったですし、色々考えて思いとどまり、やっぱり美容をやろうと決めたんです。


リ:思いきりましたね。その後直ぐに美容室経営の方に携わったんですか?
横:いいえ。修業して、美容師になる所からスタートしたんですよ。この会社の事は一緒に働く人には隠していましたので、急に板前から美容業界に入ってきた変わり者だって思われていましたよ(笑)。


リ:大変だったんじゃないですか?
横:そうですね。だって先輩は、二十歳でしたから。それに、自分では手先が器用だと思っていたけど、意外に不器用で、ロングの方のシャンプーは4ヶ月できなかったね。料理の巻き物はそれなりに得意だったので、パーマのワインディングはイケると思ったんだけど、巻くのに1時間もかかっちゃって自己嫌悪になりましたよ。だから、歳食って始めた分、練習は鬼のようにしましたよ。今となって思えば、やっぱり技術を覚えておいて良かったなって思います。


リ:スタッフの方とお話しする上でも技術を知っていると知らないのでは違いますからね。
横:そうですね。通常、美容師というと、一部のカリスマ美容師のような人を除けば、だいたい月間売上100万ぐらいなんだけど、僕が全盛期のときは200~250万ぐらい上げていたから、そういう視点からもスタッフに話が出来るのが良かったと思うね。


≪喧嘩していた父から突然温泉に誘われたんです≫



横浜の美容室、美容院 リ:
練習してスタイリストになるのにはどれぐらいかかったんですか?
横:3年かかったね。それから、美容師やサロンワークなどを経て、マネージャー業務なんかもするようになったんだけど、33歳のときに父親と大喧嘩して店を一度辞めて、違うブランドで横浜の関内に自分のお店を出したんですよ。自分自身が経営者としてスタートしたのはそこからです。


リ:その店舗はヨコタコーポレーションのグループに入っていたのですか?
横:いいえ。喧嘩してやめたので、ヨコタコーポレーションとは一切関わらずに、付き合う業者全て変えて意地になってやっていましたよ。


リ:その後、どのように経営されていたのですか?
横:平成13年の5月にオープンして、開始当初は赤字があったんだけど、これまずいと思って、当時ショートでも2万ぐらいしていた縮毛矯正を1万でやったんですよ。それが当たって、翌月は月間売上が140万ぐらいになったのかな。1年後にはスタッフ4~5人で売上300万に成長していってね。


リ:すごいですね。
横:その当時はバカみたいにお金使っちゃって(笑)。練習は一生懸命していたけど、1年間ぐらいはスタッフで海外旅行に行ったり、飲みに行ったり、ダメな経営者でした。その後、平成15年5月に法人化して、有限会社フレアジャパンを設立したんです。


リ:その後、規模を拡大されたのですか?
横:縁があって平成17年に二俣川にお店をオープンすることになったんですよ。そこも比較的すぐに軌道に乗って、事務所を借りて、すでに3店舗目の構想も練っていましたね。その翌年の秋ぐらいに喧嘩していた父から“大事な話があるんだけど”って突然温泉に誘われたんですよ。それまでは丸5年音信不通で、顔も街も見たくなかったので、このエリアにも近づかないようにしていたんですよ(笑)。


リ:徹底していますね(笑)。温泉ではどういったお話しをされたんですか?
横:戻ってきて一緒にやらないかって言われました。そして、父が医師からガンを宣告されたという話を聞いたんです。今はもう、そのガンで亡くなっています。


リ:そうなんですね。その話の後すぐに戻られたんですか?
横:即答はしなかったけど、いろいろ考えて、平成19年の夏ごろには戻りました。


リ:その後はヨコタコーポレーションで現在に至るんですね。
横:そうですね。元々、ヨコタコーポレーションの始まりは、僕のおじいちゃんが神田神保町で昭和32年に床屋をはじめて、その後にヨコタコーポレーションの創設者である横田治男が美容師として活躍して、店舗展開をして行ったんですよ。


≪何より人を大切にしていきたい≫



横浜の美容室、美容院 リ:
ヨコタコーポレーション様の店舗名はどのように決められるのですか?
横:もちろん、ヨコタコーポレーションとしての経営理念は統一しているけど、その土地その土地の色を出すために、出店するごとにお店の名前を変えていました。ただ、今後は統一させて行こうと考えています。


リ:それはブランドとしての知名度を広めるためですか?
横:ファミリーサロン、若年層向けのサロン、高級志向のサロンごとにコンセプトを統一しようと思っているんです。今ネイルサロンも入れると16店舗あるんですが、今後はFC展開も考えているんですよ。個人の優れた人材を育成するのも重要だけど、団体で強いチームにしたいなって思っています。ヨコタコーポレーションの理念として、大家族主義というものがあるんですが、それを引き継いでいきたいと思います。


リ:今後どのように成長していきたいと考えていますか?
横:何より人を大切にしていきたいと思います。美容室は人が一番大事だと先代からも教えられました。基本的な事ですが、人の目を見て笑顔で挨拶をしていこうだとか、損得抜きで奉仕する気持ちをスタッフ一人一人が大切にしています。また、美容業界を通して社会貢献していきたいと思っています。さらに大きな目標としては世界平和に繋げていきたいですね。


リ:素敵な事ですね。
横:そのために、私たちが出来ることは、美容業をもっともっと尊敬して、技術・接客をもっと磨いて、お客様に良かったと思ってもらえるような空間作りを一生懸命にやっていくことだと思います。
先日、被災地にボランティアで行かせてもらって、皆さんの髪を切らせてもらいました。カットしながら話を聞くぐらいしか出来ませんでしたが、それでも “ありがたい”って感謝してもらえたんです。その時改めて、自分の身に付けた技術で役に立てるこの職業の素晴らしさを実感しました。この事は今後入ってくる新人にも伝えていきたいですね。社会貢献するためにも、地域一番の信頼を得られるような美容室にしていきたいと思います。


リ:今後も店舗拡大は続けていきたいですか?
横:すでに幹部が育っているから、最低でも3店舗は早急に出さなければと考えています。


リ:他の美容室にはない特徴はありますか?
横:いっぱいあるけど、1番は技術面かな。例えば、ウチを経験してから他の美容室に行くと、そのスタッフは技術が上手いねって言われるらしいんだよね。


リ:美容師にとっての魅力はどのような点ですか?
横:賛否両論はあるんですが、ウチは出戻りが多いんですよ。お店によっては、一度辞めたら入れないようなところも多いんだけど、ウチではやる気があればいつでも戻ってきて欲しいと伝えています。


リ:お客様から見た美容室の魅力はどのような点ですか?
横:なんといっても居心地のよさですね。おスタッフもお客様を大切に出来ているし、たまに見に行くとお客様との仲の良さがすごく伝わってくるんですよ。


リ:最後に伝えたいことはありますか?
横:父が生前よく言っていた言葉がありまして、“縮小してもいいから、企業として100年は続けてほしい”と、僕はこの会社を終わらせるつもりも縮小するつもりもありません。より多くのお客様の喜んで頂ける美容室にして、もっともっと成長させて次の代まで引き継ぎたいと思っています。僕は良いスタッフにも恵まれています。みんなで力を合わせて頑張ります!


リ:本日はありがとうございました。