怒る と 叱る
の違いって、ご存知ですか。
弱い立場の人
言い換えるなら、
子供や、年下、部下、
そして、非があるかもしれない人。
を指しています。
(あくまで私の解釈ですが)
立場が弱い人に対して
感情を使って、相手を非難することは
それは相手をコントロールしようとすること、
それ以外の何物でもない。
まず、相手に非があるかどうか、、は
あなたの目からみたら、『非ず(あらず)』というだけで
実際にはその選択肢は、客観的には健全なるものかもしれません。
気になるなら、聞いたらいいのです。
相手が間違っていると感じるならまず伝えてみるのです。
冷静に。中庸に。偏ることなく。
『私はこう感じたんだけど』とあくまで主観があることを正直に伝えてください。
それは、相手が目下だったり、子供だったり、
立場が弱い人であるときには、
さらに言葉使いに注意してください。
観念を持ち込まないでください。
権威を振りかざさないでください。
どんな相手だって、『同格』なのです。
そして、
非が感じる場所があるなら、
その場所だけ指摘してあげてください。
『あなたはいつもそうだ』
『こんなこともできない』
『わたしだけでない、皆、あなたに対してこう思っている』
などと、ポイントをわざと濁らせて、人格を否定するような言葉
それは
暴力です。
立場の弱い人は、
自分を擁護する選択肢や行動がより少なく
その矛盾を指摘したり、自分を表現する方法がみつからなかったりします。
もちろん
幼少期にこうやって育てられた子供は
育てられたように、
育てます。
『相手に教える』という立場、目上になる立場は
それは親子関係を象徴するものです。
社会的ないろんな場面で『親』になりうるのです。
親のときには、権威を、恐怖をふりかざし、
子のときには、罪悪感で萎縮する。
もうそんなゲームはやめにしませんか?
全く一方的な表現は、
ただの自己満足です。
特に子供には、その矛盾は大きく心に残ります。
恐怖
・お前ができないんだ、お前が悪い
・お前のせいで、私の気分が悪い
・これができないと、痛い目にあうぞ(ご飯をあげない。叩くを示唆する表現)
・皆そういってる。(そう言っているのは私だけじゃないから私が正しい。)
罪悪感
・私ができないのは、自分が馬鹿だからだ
・私ができないことで、皆に迷惑をかけている
・私が皆と違う意見をいうから、仲間外れにされる
恐怖は相手に罪悪感を抱かせ
またいわれのない圧や恐怖を、自分の中で腑に落とす手段として
わざと、『罪悪感』ということで自分が納得できる処理をし、
ここに
恐怖と罪悪感の関係が出来上がります。
そして、罪悪感で自分を小さくまとめている自分を感じた時には
そのループを自分から外してみませんか。
どういう関係を望むかは
自分次第です。