ピアノ講師のブログ・・・と、気どって?書いてますが、昔の私はどんなだったのか語りたくなりました。
今、5歳息子の子育て中ですが、4人の音楽関係者や、かつての師匠などから言われた言葉があります。
「まさか、あなたが子どもを産んで、母になるとは思っていなかった。」と。
母親になれないような破天荒ぶりだったのかな~?
でも、普通ではなかったかも。
6歳でピアノを初め、優しい先生で、1回目のレッスンはとても楽しかった記憶があります。
しかし・・・、、
2回目のレッスンは、「気分がのらないから休む」・・と言って母を困らせ、結局休みました。
3回目からは真面目に行ってたけど、すぐに数ヵ月後の発表会の曲の練習がはじまり、発表会のあとすぐにリンパ腺炎という病気になり、1ヶ月ほどレッスンを休みました。
びっくりしたのは復帰後。
最初、バイエルの上巻の思いっきり初めのほうをやっていて休んだのに、復帰したら「陽子ちゃんは良くできるから下巻からやりましょう。」だって。
発表会で両手の曲を弾けたから、よくできると勘違い?したのかも・・。
(おいおい、音符は良く読めないけど大丈夫?)・・と思ったけど、先生に言えるはずもなく下巻に突入。
弾くのは特に難しくない感じだったけど、なんだか音符がいっぱい出てきて読みにくい。
当たり前だよね!
その間、音符読みやソルフェージュなどの指導もなかった・・・。
今考えると、その教え方はひどい・・・。
先生も模範演奏とかしてくれなかったし、進むにつれて読譜に苦労した記憶があります。
バイエル下巻をやっているとき、1回ピアノを辞めてみました。
特に嫌いじゃないんだけど、好きでもないし・・。
でも、1ヵ月後、また弾きたくなったので復帰。
読みにくい音符と格闘しながらチェルニーリトルピアニスト・100番・110番などもやって、楽になってきたなーと思ったのはチェルニー30番に入ってからだったような・・。
いつのまにか初見演奏を怖がる子どもになっていました。
でも、その後もピアノは好きでずーっと、ピアノの先生になろうと思っていました。
発表会の曲を、先生が選んでくれても「この曲は弾きたくありませんから変えてください」と、言うほどはっきりした(失礼な?)子どもでした。
一度だけ、変えていただいた発表会の曲がやっぱり気にいらなかったので、発表会に出るのをやめた年もありました。
練習してなくて、ずる休みをしたこともあります。
読譜力が足りなかったせいか、どう弾いていいかわからなくて練習しなかったのです。
優しくて優秀な先生でしたが、もっと私のできない部分に気づいてフォローしてほしかった・・・。
でも、子どもだったから、先生にそんなことは言えなかったし、それで良いと思ってレッスンを受けていました。
大学でも、いろんなことがありました。
ある科目の授業の試験を白紙で出したり、演奏の実技試験のときは、「弾けません」と言って先生方を驚かせてみたり・・。
計画性がないのか、遊び人だったのか、よくわかりません[E:sweat01]
でも、ここぞというときに、驚異的な力を発揮したので、わりと良い成績で卒業しました。
先生方にも可愛がっていただけたような気がします。
後日談ですが、
「あの人(私のこと)が白紙で出して単位をもらえて、なぜ、私が単位をもらえなかったのですか?」
・・・という質問を、何人もの生徒から受けたと、当時の担当教授が私に苦笑しながらおっしゃっていました。
挽回する力があったのか、白紙という行為は何かよほどの理由があってのこと、思ってもらえたのか不明ですが、意外と良い評価でした。
演奏試験のとき、途中まで弾いてから「弾けません」と言ったことも、ただの練習不足だったのですが、よほどの事情があったのだろう・・・と思っていただけたようで、後日、再度演奏の機会をもらい、よくできました。
このバランスの悪さは、生まれつきの性格なのか、幼少期の「いきなりバイエル下巻スタート事件?」からきているのか、よくわかりません[E:sweat01]
もっと、有名な先生に指導していただいていれば、もっと伸びたような気もしています。
でも、いろんなコンプレックスを持っていた(いる)ことは確かです。
そのことは、後にピアノ指導をすることになってから、できない生徒の気持ちがわかる・・・という利点に変わりました。
バランスの悪さは自分でも認めているので、困った生徒に出会ったときなど、どうすればよいかわりと理解できます。
自分はこうしてもらえなかったから、生徒にはちゃんとしよう・・とか、反面教師ですね。
ヤマハの講師採用試験のときも、すごかった~。
ピアノのほうが得意なのに、わざとエレクトーンを弾いてアピールしてみたり、変な小細工しました(笑)。
そのおかげか、みごと合格しました。
グループを教えていて感じたこと・・・・。
グループレッスンで、音符・音価などわかっていない子がいるのに、どんどん進むレッスン。しかもその子達(数人)は自分が落ちこぼれてると気がついていない。
気づかず楽しくレッスンしているのは、本人には幸せなのかもしれないけど、音楽をこれからやるなら良くないことだと思う。
それを、上層部に訴えたのです!
でも、そんなこと、もちろん聞き入れられず、落ちこぼれを出さないように・・みたいなことを言われました。
教室移動も頻繁にあって、せっかく慣れた生徒ともすぐお別れになったりして、「教室の都合ばかりで、全然生徒のことなんか考えてないじゃない!!」と、憤りを感じて、グループレッスンを辞めました。
誰のための音楽??
生徒が楽しむための音楽に決まってるじゃない!
でも、教室側はそこまで考えてなかった。
私の音楽に対する気持ちに変化が出てきたのは、この頃からだと思います。
だから、ヤマハで教えていたことも無駄じゃなかった。
厳しい研修もあったし、講師演奏などでも一波乱あったりして辛いこともあったけど、とても勉強にもなりました。
個人レッスンの講師になってから別人のようになり、音楽を心から楽しめる子どもを育てることを考えて指導するようになったのです。
急に勉強家になりましたよ(笑)。
そして、今の私がある。
私の中のアンバランスな部分は完全に克服できてなくて、時々、こんなこともできないの?・・・・と自分であきれることもあるのですが、克服すべく調整中です。
完璧な人間が名指導者・・とは限らないでしょ?
私は、できない生徒の心の痛み・気持ちがわかる指導者を目指し、よくできる生徒は、それをさらに伸ばせる指導者になります。
・・・・と、かっこよく話をしめてみました。
でも、私はかっこよくなくてもいい。
音楽を心から楽しめる生徒を育てるためならば、どんなこともできる。
大変だけど、素敵な仕事でしょ?
では、また明日[E:paper]