こんにちは。
金田音楽教室のピアノ講師・金田陽子です。
私の右顔面骨は、小さな3枚の吸収性プレートで固定されています。
頬(ほお)に2枚、こめかみに1枚です。
約半年前に、ほお骨を骨折して手術をしました。
(傷も目立たず、見た目は普通です。)
半年を過ぎたあたりから、固定プレートは溶け始まり1年後くらいにはなくなるそうです。
昨日、顔を洗っていたら、初めて指でプレートの存在を確認できました(笑)
目の下は皮膚が薄いので、触るとプレートの形状などがわかる人がいる…と形成外科の先生が言っていたのですが、発見できてちょっと感激?、いや、びっくりしました。

そんなことを書いていますが、ビルの中の長い廊下を歩いていて貧血で倒れたトホホ…な私。
半年たった今でも、倒れた時の事を思い出すので、立っている状態で遠くを見ることができません。
また、倒れそうでこわくなるのです。
軽いトラウマですね!
そういう場面に出くわすと、遠くを見ないようにするために顔を下に向けてしまいます。
トラウマにしても、PTSDにしても軽々しく口にする言葉じゃないな、と身をもって実感しました。
(PTSDは病名です。トラウマと密接な関係がありますが、別ものです。)
ケガの後遺症もあります。
右顔面は、いまだにもたーっと重く、こめかみ付近は強打したので、神経が傷ついてさわるとピリピリした感じがします。
1度傷ついた神経が治るまでは、年単位の長い時間がかかるようです。
それらの症状について、少しだけ違和感はありますが、普通の生活をしています。
まわりの人には何も言ってないので、もう良くなったと思っている人が多いと思います。
ケガをしたあと、学んだこと。
人は見かけではわからないということです。
元気そうに見えても、身体がツライ人がたくさんいるかもしれません。
トラウマとたたかっている人もいるかもしれません。
だから軽く、この人はこういう人だとか、あなたの気持ちは良くわかるとか、どうしてあの人は、ノロノロしてるんだろうとか思わないようになりました。
以前よりもっと優しい気持ちで、人を見るようになりました。
病気の人や、病気なのに子育てや仕事をしている人のご苦労は、ケガをした私とは比べものにならないほど大変だと思います。
健康な人、頑強な人は、残念ながら身体がツラくて動けない人の気持ちがわからないことが多いです。
この半年間、元気そうに見える私にグサっとくることを言ったかたもいました。
皆、私の状態を知らなかっただけで悪気はなかったと思います。
でも、学んでほしい。
わかってほしい。
見た目が元気そうでも、そうじゃない人がたくさんいることを…。
健康に見えてもそうじゃない。
自信がありそうに見えても自信がない。
満足しているように見えてもコンプレックスでいっぱい。
強い人に見えてもそうじゃない。
そんな人はたくさんいます。
自分だけが大変…みたいに思わず、まわりを見渡せる目を持って欲しいです。
ちなみに、現在の私は、とても元気に生活しています。

今日は、息子と一緒に絵を描きました。
本の読み聞かせもしましたが、本のタイトルは「怪談レストラン」です(笑)
でも、児童文学作家の松谷みよ子さんの原作です。
松谷さんは霊感があるようですね!(しらなかった〜!)
[E:diamond] [E:diamond] [E:diamond]
私は、昨日も今日も少しですがピアノを弾く時間がありました。
毎日コツコツとやっています。
指の柔軟体操や、歌ったりするトレーニングも少しずつやっています。
私の出したいピアノの音が出るまで続けます。
ピアノを弾くのが好きだから…。
できれば「真面目」とか「努力家」という言葉で形容しないで欲しいな〜。
私にとってピアノは、そういう言葉ではあらわせないほど大切なものだからです。

↑ 生徒さんからのプレゼント。
ちょっとした心遣いが嬉しいです。
[E:diamond] [E:diamond] [E:diamond] [E:diamond]
またひとり、体験レッスン希望の方から連絡がありました。
お名前を見てびっくり。
小1の息子の同級生でした。
その子のお母様と面識はないのですが、いずれ学校で顔を合わせるでしょう。
今まで、息子の友達(ママ友)から、ピアノを習いたいと言われても、「お互いに気を使うし、トラブルなどあって友情が壊れるのはイヤじゃない?」と言って、お断りしていました。
今回のケースは初めてです。
きちんとその子のお母様に、同級生だということを話した上で、それでも良ければいらして下さい、と伝えようと思っています。
実家にいた頃は、隣り近所のほとんどのかたがピアノを習いにきていました。
ご近所のかたは、ピアノを教えているのは娘の私でなく、母が教えていると思っていたようです。
そのことを母は、とても喜んでいました。
母もピアノが弾けましたが、ピアノの先生だと思われたのが嬉しかったようです。
今思えは、トラブルなどあったら、母が嫌な思いをしたかもしれないのに、母は私を信用してくれていたのでしょうか?
普通のピアノレッスンでトラブルは、めったにありませんが…。
あれこれと考えた週末でした。

またダラダラと書いてしまいました。
では、また明日[E:paper]
金田音楽教室のピアノ講師・金田陽子です。
私の右顔面骨は、小さな3枚の吸収性プレートで固定されています。
頬(ほお)に2枚、こめかみに1枚です。
約半年前に、ほお骨を骨折して手術をしました。
(傷も目立たず、見た目は普通です。)
半年を過ぎたあたりから、固定プレートは溶け始まり1年後くらいにはなくなるそうです。
昨日、顔を洗っていたら、初めて指でプレートの存在を確認できました(笑)
目の下は皮膚が薄いので、触るとプレートの形状などがわかる人がいる…と形成外科の先生が言っていたのですが、発見できてちょっと感激?、いや、びっくりしました。
そんなことを書いていますが、ビルの中の長い廊下を歩いていて貧血で倒れたトホホ…な私。
半年たった今でも、倒れた時の事を思い出すので、立っている状態で遠くを見ることができません。
また、倒れそうでこわくなるのです。
軽いトラウマですね!
そういう場面に出くわすと、遠くを見ないようにするために顔を下に向けてしまいます。
トラウマにしても、PTSDにしても軽々しく口にする言葉じゃないな、と身をもって実感しました。
(PTSDは病名です。トラウマと密接な関係がありますが、別ものです。)
ケガの後遺症もあります。
右顔面は、いまだにもたーっと重く、こめかみ付近は強打したので、神経が傷ついてさわるとピリピリした感じがします。
1度傷ついた神経が治るまでは、年単位の長い時間がかかるようです。
それらの症状について、少しだけ違和感はありますが、普通の生活をしています。
まわりの人には何も言ってないので、もう良くなったと思っている人が多いと思います。
ケガをしたあと、学んだこと。
人は見かけではわからないということです。
元気そうに見えても、身体がツライ人がたくさんいるかもしれません。
トラウマとたたかっている人もいるかもしれません。
だから軽く、この人はこういう人だとか、あなたの気持ちは良くわかるとか、どうしてあの人は、ノロノロしてるんだろうとか思わないようになりました。
以前よりもっと優しい気持ちで、人を見るようになりました。
病気の人や、病気なのに子育てや仕事をしている人のご苦労は、ケガをした私とは比べものにならないほど大変だと思います。
健康な人、頑強な人は、残念ながら身体がツラくて動けない人の気持ちがわからないことが多いです。
この半年間、元気そうに見える私にグサっとくることを言ったかたもいました。
皆、私の状態を知らなかっただけで悪気はなかったと思います。
でも、学んでほしい。
わかってほしい。
見た目が元気そうでも、そうじゃない人がたくさんいることを…。
健康に見えてもそうじゃない。
自信がありそうに見えても自信がない。
満足しているように見えてもコンプレックスでいっぱい。
強い人に見えてもそうじゃない。
そんな人はたくさんいます。
自分だけが大変…みたいに思わず、まわりを見渡せる目を持って欲しいです。
ちなみに、現在の私は、とても元気に生活しています。
今日は、息子と一緒に絵を描きました。
本の読み聞かせもしましたが、本のタイトルは「怪談レストラン」です(笑)
でも、児童文学作家の松谷みよ子さんの原作です。
松谷さんは霊感があるようですね!(しらなかった〜!)
[E:diamond] [E:diamond] [E:diamond]
私は、昨日も今日も少しですがピアノを弾く時間がありました。
毎日コツコツとやっています。
指の柔軟体操や、歌ったりするトレーニングも少しずつやっています。
私の出したいピアノの音が出るまで続けます。
ピアノを弾くのが好きだから…。
できれば「真面目」とか「努力家」という言葉で形容しないで欲しいな〜。
私にとってピアノは、そういう言葉ではあらわせないほど大切なものだからです。
↑ 生徒さんからのプレゼント。
ちょっとした心遣いが嬉しいです。
[E:diamond] [E:diamond] [E:diamond] [E:diamond]
またひとり、体験レッスン希望の方から連絡がありました。
お名前を見てびっくり。
小1の息子の同級生でした。
その子のお母様と面識はないのですが、いずれ学校で顔を合わせるでしょう。
今まで、息子の友達(ママ友)から、ピアノを習いたいと言われても、「お互いに気を使うし、トラブルなどあって友情が壊れるのはイヤじゃない?」と言って、お断りしていました。
今回のケースは初めてです。
きちんとその子のお母様に、同級生だということを話した上で、それでも良ければいらして下さい、と伝えようと思っています。
実家にいた頃は、隣り近所のほとんどのかたがピアノを習いにきていました。
ご近所のかたは、ピアノを教えているのは娘の私でなく、母が教えていると思っていたようです。
そのことを母は、とても喜んでいました。
母もピアノが弾けましたが、ピアノの先生だと思われたのが嬉しかったようです。
今思えは、トラブルなどあったら、母が嫌な思いをしたかもしれないのに、母は私を信用してくれていたのでしょうか?
普通のピアノレッスンでトラブルは、めったにありませんが…。
あれこれと考えた週末でした。
またダラダラと書いてしまいました。
では、また明日[E:paper]