こんにちは。


金田音楽教室のピアノ講師・金田陽子です。



3/11の東日本大震災から今日で3年がたちました。


当時、私は東京都内のマンションの8階に住んでいました。


意図的に揺れるような設計になっている建物だったので、スゴイ揺れでした。


小さな地震でもテーブルや机の下にはいる習慣があったので、すぐにテーブルの下に避難しました。


もともと、地震が来ても大丈夫なように家具は固定してあったので、家具は倒れませんでしたが、パソコンが机の上から2mくらい吹っ飛びました。


家じゅうの作り付けの棚(キッチンや洗面所、下駄箱など)は、物が飛び出すのを防止するために自動的にロックがかかりました。← そんな機能の棚だとは知らず、扉が開かなくてびっくりしました。


息子は3才になったばかりで何が起こってるかもわからず…。


当然エレベーターは止まっていました。


地震の時、新橋近辺を移動中だった夫は地震直後に公衆電話に走り、すぐに連絡をくれました。携帯電話より公衆電話が確実につながることを知っていたので猛ダッシュしたそうです。


私と息子はマンションのロビーに行こうと思い、パンや水、息子の必要なものを持って1階に降りました。


ロビーには、すでにたくさんの住人がいて、管理人がストーブを出したり、暖かいお茶などを配ってくれました。


敷物も出ていたので、そこに座って数時間を過ごしました。息子は折り紙で遊んでいたような記憶があります。


ロビーにいたのは、子連れの人やご高齢の人がほとんどでした。


2〜3時間後、夫が都内から徒歩で帰宅して私達は自分の部屋へ戻りましたが、いざとなったら息子をオンブして移動しなければ…など覚悟を決めていました。


そんな記憶も、もう薄れつつあります。


私達はもう普通の生活をしていますが、東北の方々はまだ不自由な生活をしています。


津波の被害が大きかった地域に住んでいたかたは、家や、自営していた店舗が流されても建てなおしが出来ない…などということも少なくありません。



家を建てなおしても、全てがもと通りというわけじゃないのです。


肉親や友人を津波で亡くし、自分の家も流され、悲しみの気持ちを抱えているかたも多いのです。


ピアノを習っていたのに、ピアノも流されて習っていたピアノ教室も流されてしまい、悲しい思いをしている子ども達もたくさんいます。


家を流されたピアノの先生は、まず家を建てなおし、家財道具を買って…と、ここまでは頑張れても、ピアノを買って、楽譜を新たに買いなおすまでは大変で、いまだにピアノ教室再開できずにいる先生も多数です。



何もかもなくしても、音楽が心の傷を癒してくれる。


そう思っている人が多いのに、ピアノ購入ははあとまわしになってしまうのです。



悲しいことですね!


音楽をやりたい人への支援はまだまだこれから続きます。


私は微力ですが、楽器購入支援のお手伝いをしています。


状況を聞いていると、本当に助けてあげたい気持ちになります。


被災したピアノの先生が、教室を再開したいからアップライトピアノが欲しい、と聞いて切ない気持ちになりました。



当然グランドピアノが欲しいはずなのに…。


楽譜だって、流されてしまってないのです。


普段の私達は、なんて贅沢なんでしょう。


恥ずかしくなります。


困ってる方々に楽譜支援をしている人達もいます。


私が知っているだけでも3グループいます。


有名なかたばかりです。有名だからこそ私達も信用してお金を送金したり、楽譜を寄付したりできるのです。


他にも児童館や保育園などに絵本を寄付しているかたもいます。


子ども達に少しでも楽しい思いをさせたいですね。



私達は決しておごることなく、地道に支援をしていきたいです。


日々のピアノレッスンをしていても、音楽は人の心を癒したり、心を育てると信じて指導しています。


被災された方々の悲しみや、お心の傷が早く癒えますように。



そして、1日も早い復興ををお祈りいたします。




では、また明日[E:paper]