まず、あたしが宣告までの経緯を書きたいと思います。
2013年の終わり頃?から風邪ひきやすくなったなーと思っていました。
治ってはまたその一週間後にまたひいて。。
また治ってまたひいて。。
の繰り返しでした。
結婚してから同じ個人病院に行くことが多くなっていて、その時もずっと同じ病院に行ってました。
その先生は血液検査も尿検査もしない先生で(それがダメだった)聴診器を当てるだけ。
同じ薬をもらい帰らされました。
やっぱりまた風邪引くー。。
と思って、独身時代に行っていた個人病院に行くことにしました。
そこでは血液検査、尿検査をしました。
そして、簡単な血液検査の結果を先生が見て、
「明日朝1来れるかな?血液検査の結果がちょっと異常です。白血球の数が人の3倍あります。」
と言われて、なんのことかサッパリでした。
なんか大きい病気なんかな?とは思ったけど
病気とは無縁のあたしに何もないと思ってました。
頭が割れるような頭痛、熱もあり、その先生は腎盂腎炎かもしれないと言われてなんか色々された。笑
インフルエンザの検査は陰性。
とりあえず腎盂腎炎の点滴をしてその日は帰りました。
次の日子供を預けて、朝1の診察。
先生からは「やっぱり血液検査の結果がおかしい。血液の病気かもしれない。紹介状書くから日赤行ってきて」
まだまだサッパリ。
重大性の欠片もないまま日赤へ。
待ち合いの時頭が割れそうなほどの頭痛。
早く呼んでほしいー。。
血液の病気?もしかして。。
とは思ってました。
そして今の担当医H先生と初対面。
色々と質問され、検査しに行ってきてくれますか?と。
血液検査、尿検査、エコー検査。
エコーはたぶんどこから熱が出てるかやね。
検査が終わり、再び診察室へ。
たんたんとH先生は
「わたしの経験上、慢性骨髄性白血病だと思われます。」
と。
頭真っ白ってこの事か。って感じ。
と同時にあたし死ぬんや。って思った。
白血病、白血病、白血病……
頭の中をグルグル回って涙を堪えるのに必死やった。
日赤には息子、義母、義父も付いてきてもらっていて、これは私一人で聞いとけないと思った。
義理の母来てるのでここに連れてきていいか先生に聞いて隣に座ってもらった。
先生は、
「今は何も考えられないかもしれないけど、そんなに悲観的にならなくてもいい。この病気では死なない。」
と、断言してくれました。
医者というのは、患者にとって神様なんだとその時思いました。
そして先生からは
「まだ病気の確定にはならない。ちゃんとした検査が必要です。結果は10日ほど日がかかります。」
と言われ、でもほぼこの病気ということは言われました。
その後治療の経緯を説明してもらい、今日の件は結果の紙をもらって帰りました。
診察室から出た瞬間、義理の母から背中を3回なだめるように叩かれました。
大変なことになった。
あたしは死ぬんだと思いました。
息子にはいつも通りに接さないと。。
無邪気に笑う息子を見ると涙が出そうで。
家に帰ってから息子はもう少し義理の母達に預けてとりあえず旦那に電話をしました。
号泣でした。
先生に言われたことを息を詰まらせながら伝えました。
旦那も相当驚き、なんせ育児疲れやろーと言ってたのでこんなことになるなんて思ってもない。
そして実家の母へ。
やっぱり号泣。
実家の母はやっぱり強い。
「先生は悲観的にならんでいいって言うてたんやな。がんばろな!!頑張ろう!子供の前で泣いたらあかんで!頑張ろな!」
と言ってくれました。
ひとしきり報告が終わったころに、
旦那が帰ってきました。
えー??なんでー??と言いながらまた号泣。
一緒に頑張ろうと言ってくれました。
仕事の間をコソッと抜けて帰ってきてくれたみたいです。
あたしが落ち着いた頃にまた仕事に戻って行きました。
そして実の父親から電話が。
父親は涙もろく、もう泣いてました。
「辛いなぁ。辛いなぁ。でも頑張ろな。」
と弱々しく言ってくれました。
その日はいつも通り子供を寝かしつけて、
少し旦那と話をしながら寝ました。
ほんとは寝れませんでした。
なんか寝るのが怖かった。
死ぬっていう恐怖。
白血病。
わたしは慢性骨髄性白血病。
夢じゃない。
怖い。
死ぬのが怖い。
子供の成長が見たい。
子供をお兄ちゃんにしてあげたい。
自分自身したいこともたくさんある。
まだ28歳。
なんであたし?
なんか悪いことした?
こんな大病になんでなるの?
死にたくない。
こんなことばっかり考えてました。
つづく。。