こんにちは! 
川崎市宮前区を拠点に排水工事を行っている小さな設備会社の経理ブチョウのblogです。  お立ち寄り頂きありがとうございます🥰           
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年末実家に帰省中起きたこと。


実家から川崎に戻る前日の夜中。
ちょうど0時ぐらいだったと思います。

1階で電話がなっているような音が聞こえました。

ちょっと経っても下で寝ている親が出る様子がないので、電話を出に降りようと思ったところで切れました。


次の日朝早くまた電話がなりました。


絶縁状態にあった兄が入院したという
病院からの電話でした。


私にはギャンブル依存症の兄がいます。


人様に迷惑を掛け
ここに書くことも迷うようなこともしました。


親は何度も繰り返すそれにホトホト疲れ果て、
数年前に縁を切ると連絡を経っていました。


こういう言い方をしては何ですが
この数年は穏やかな期間でした。


入院したとはありましたが、
病院の先生から話を聞く限りでは
体調には問題ないようでそこは安心しました。


どちらかというと、
親としても私としてもまた同じような
ことをされる日々がくるのか、
そこの不安やショックの方が大きかったと思います。


私は私で冬至を過ぎたこの時期に、
並木さんの動画ではこの動画を見た人は
目覚めを選んでいると言っていたのに
全然目覚めじゃないとか、
そんなことを思っていました。


それぐらい実家の方の我が家にとっては
大きなことだったのです。


私は17年ぶりぐらい、
親は何年ぶりだったのでしょう。


会った兄は全く雰囲気が変わり
最初は誰なのかもわからないくらいでした。


その日に川崎へ戻る予定でしたので、
親は私に負担がいかないようにと、
「帰っていい」ということを言い、

これまででしたら、
私もそれに従っていました。

が、今回は怖い気持ちもありながらも、
会った方がいいと思い、
子どもたちを旦那さんにお願いし、
パーキングで分かれて
両親と病院へ向かいました。


先生から話を伺い、
手続きを済ませすぐ退院出来ました。


家族全員で食事を取ったのなんて
本当に何十年ぶりだったのでしょう。


近くのガストに入り思い思いに注文しました。


兄の様子を見て思ったことは、


親なのに、こんなによそよそしいって
なんて悲しいことなんだろう…
ということでした。


時々普通には話すものの、
ほとんどが敬語、
どこかの他人様という感じ。

絶縁状態にあったのですから
仕方のないことかもしれません。


でも、人に気を遣うことが普通になっていて
気を遣っていることにも気づかない。
何か喋っていないと落ち着かない、
そんな感じがしました。

兄は安心しているとは言ってましたが
何かしていないとそこに居てはいけない、
そんな様子でした。


"居場所がないってこんな悲しいことない"


兄は比較的元気で、
口だけは上手く、それを信じまた裏切られを
繰り返された親からすると、
全く違う気持ちだったと思います。


私自身もこれまでの兄の様子は聞いてはいたので、

引き取るのがいいのか、酷い話ですが
このまま絶縁状態がいいのか正直答えが
わかりませんでした。


ただ今回は「引き取る」選択をしたということ。


この数年間に少しですが、
色々心のことも学びました。


今目の前に起きている現実が
自分が起こしているというなら、
私たち家族にとって何かしらの気づきがあるはずだと思いました。


父親は嫌なこと、面倒なことを全て母親に
任せっきりなこと。

母親は兄に対してお金を使うこと。

私もその日一緒にいれるなら泊まるけど、
兄だけなら泊まらないとか、
借金を肩代わりし続けてしんどい思いを
してきたこともありますが、それだけでなくどことなく兄に対して気持ち良くお金を使うことに抵抗がありました。


そして私は兄の件を全て親任せにし、
一緒に考えようとしなかったこと、
自分自身も内容は違うにせよ、
同じことを繰り返していること、
陰を受け入れること、


そんな気づきがありました。


兄と縁を切った後に親は苦しくなかった訳は
ありません。
特に母親はその都度苦悩し続けたと思います。


でもその期間、 
震災で傾いた家のリフォームをし、
大好きな旅行やバイキングなどにも行き、
嫌いと言ってきた義父母のお墓を
お参りしやすい場所へ移し、
やっと満たされた様子でした。


今回帰省して母の様子が変わったような
気がしました。
それは年老いたというのも現実なのですが、

何かこう全てを赦したようなそんな
感じが伺えたのでした。


そこでの兄からの連絡だったので、
私も一緒に会おうと思えたのかもしれません。




もうその頃には、
目覚めていようがいまいがどっちでも
いいやと思いました。笑
ただ、もし万が一、中里の方にも迷惑が
掛かるようなことがあったら
離婚しようと思いました。


今回のことで、
私の子どもたちに対する見方が変わったのも
確かで、どこかで本当の愛情がわからずにいたのですが、それを兄が教えてくれたんだと
気づきしまた。


先日、子どもたちが帰省中にじぃじばぁばに
ブーツを買って貰ったおかげで、
こっちで雪が降った時も助かったよ!
という電話を掛けました。

色々生活リズムも変わって大変なはずなのに、
心なしか両親も兄も声に張りがあって
元気そうでした。


まだ始まったばかりですし、
3ヵ月後ぐらいが一番どうかわかりません。


でも、もし兄が私たちの状態を
映し出してくれているとするなら、
私が変われば兄も変わるのだと思って
自分のひとつひとつの選択をしていこうと
思います。


昨年末に、毎年お願いしていた年越の大祓
をしなかったこともあり、
それと願掛けとして、自分で毎朝大祓祝詞を
唱えることにしました。



そしてギャンブル依存症の兄がいても
幸せになると決めたのです。


どう転がっても全てを
受け入れやっていこうと思います。



何かの気づきになれたらいいなと
思います。



読んで下さりありがとうございます❣️🙏