東日本大震災。
当時のこと。
なぜか
"同情して欲しい"と思われるのが嫌で
書けない。
聞かれて話す時も、
「うちは比較的大丈夫だった」といって
それ以上話さない。
「心配して欲しい」と思われるのが嫌で。
実際、うちは塩竈市で地理的には
沿岸部ではあるけど、
高台の方だったので、
津波の被害などにあった方々に比べたら
まだまだいい方だった。
そう、実際大丈夫だったのだ。
大丈夫な方なのだ。
いい方。
大したことない。
他の方に比べたら全然。
でも、
今こうして書こうとすると、
ぶわぁっと涙がこみ上げてくる。
当時私はゴルフ場でキャディの
訓練をしていて、
尋常ではない揺れに、一旦
キャディ棟に引き返すことになった。
キャディ棟にあるテレビに映し出されたのは、
宮城県沖。震度6。
目を疑った。
怖かった。
怖かったのに、
大丈夫なふりをした。
友達にもなんか言われて
笑ってごまかした。
帰りの車の運転中。
1度だけ父親と連絡が取れた。
「そっちは大丈夫か?」
それから5日間連絡が取れなかった。
自分の住んでた町、
自分の通ってた地域、
部活で走ってた場所、
遊びにいったところ。
その場所が変わっていくのを見て、
なんともいえない喪失感に襲われていたこと。
あぁ、私ちゃんと出してなかったんだ。
悲しいって言葉だけじゃない。
崩れさっていくような。
3週間後に行って見た風景。
道路に乗り上げられた船。
ねじまがった線路。
盛り上がったアスファルト。
津波にのまれた家々の戦場のような後。
渋滞する道路で、
引き返し助かった友達と、
そのまま待機して亡くなったという
友達の同僚の話。
そのたったひとつの選択の違いって
なんなんだろう…って思った。
帰りの高速道路から
変わり果てた街並みが見えた。
大声を出して泣けば良かった。
大したことない。
なくない。
大したことなくなかった。
現地の人に比べたら
大したことない。
でも辛かった。
どうしようもなかった。
素直に出して良かった。
やっと、書けた。