明日は我が身なのか?
と思う出来事が。
ダンナっちの病室、わりと症状が重い方が多く、
気切をしている方、
抗がん剤が効かず、副作用で話すのもままならない方、
骨に転移して痛みが出ている方(あ、これはダンナっちか)
入院をしての闘病では、
時々遭遇する悲しい出来事。
それはどなたかが旅立たれた時。
そしてもうひとつ、
緩和ケアをすすめられる時です。
聞いていて切なくなります。
今日もダンナっちと同室のお父様(70代くらい)が
主治医から積極的治療の終了と、
緩和ケアへのすすめの話がありました。
主治医から抗がん剤が効かない事、
病気はどんどん進行していること、
そして「人間らしい死の迎え方をしましょう」と。
ダンナっちも私も沈黙してしまいました。
死の宣告です。
とても他人の話とは思えません。
ダンナっちの病状をみていると、
冗談抜きに明日は我が身です。
いつ主治医から「もうやめましょう」と言われるか・・・。
でもね、「人間らしい死の迎え方」とはなんなんでしょうね?
緩和で痛みのコントロールして、
笑顔で旅立てる事も良い死の迎え方なのかもしれませんが、
痛みや副作用に苦しみながらも、病と最後まで真正面きって戦って
その上で旅立つのも、良い死の迎え方なのでは?と・・・。
正直どれが良いものなのか、わかりません。
その緩和をすすめられたお父様、
ご本人にとって緩和に行く事=自分らしい死の迎え方なのでしょうか?
そう考えると、いつどうなっても大丈夫なように、
自分に何かあって、意志の疎通ができない状態になった時のことを考え、
普段から家族と「自分はこうしたい」と伝えておくのも
大切な事なのかな・・・と思いました。
でもそんな話は必要ないようになるのが一番。
失ってわかるものだけど、
本当に健康って何よりも大切です。
明日は我が身かもしれない・・・。
でもその明日を何年も、何十年も先にしたいです。