《阪神 淡路大震災》
http://mainichi.jp/graphs/20160912/hpj/00m/040/005000g/1
22年前の今日、関西で大きな地震が
ありました。
前にも書いたことがあると思いますが
その頃、私は甲子園球場の近くに
住んでおりました。
学校を卒業して
会社に勤めだした頃です
凄まじい揺れと共に
1人暮らしの部屋にあったもの
全てが倒れ落ちました。
目の前の木造のアパートは、
すごい音を立てて形なく崩れ落ちました
瓦礫の中から聞こえる
おばあさんの「助けて」の声は
今でも忘れられません
ご近所のみんなで
「もうすぐ、消防士さんがくるから
がんばりやー」と声をかけました。
地震の後、すぐに
山陰の実家に電話をしました
朝5時の電話です
「私は大丈夫。そっちはどう?」
お互いの無事を確認して、
ほっとしたことを覚えています
その時の電話の母は、
まさか、こんなにすごい地震だとは
まだ気づいていませんでした。
テレビには、本当に被害の大きい場所の
報告はなく、映像も撮れていなかったのです。
その後すぐに
電話が通じなくなりました
テレビも下に落ちて
水も止まり
そこかしこから、
ガス漏れの匂いがしていました。
携帯もない時代です
なにがなんだか良く分からず
1人で、とても不安でした
とりあえず外にでて
あてもなく、近所の方と
そこにみんなでいました。
タバコを吸おうとする男性を
「ガスがもれてるのに
爆発したらどうするの!」と
みんなで叱りました。
遠くに、火災の煙がみえ
消防車の音が響いていました。
スーパーは、まだオープンしておらず
コンビニまで行ってみたものの
すでに水は売り切れ
お弁当も、パンも、おにぎりも
ありませんでした
しかたなくオレンジジュースと
チョコレートを
買って帰ったのを覚えています
家に帰って、途方にくれていると
たてつづけに、会社からや、
上司から心配の電話がかかってきました
そうだ、今日、会社があったんだ!!
当時は、心斎橋にある
旅行社で働きだしたばかりでした。
すいません、休んでいいですか?と
ボケたことを聞く私に
「大丈夫だよ。兵庫の人は誰も来てない」
「無事でよかった!」と優しい答え
大阪在住のみんなは出勤して、
事務所の片付けを
してくださっているとのこと
ビルの7階にあったオフィスの中も
棚が倒れ、ガラスがちらばり
書類がゴチャゴチャだったとのこと
この時、まだ朝の10:00すぎだと思います
すでに、長い長い一日のような
気がしていました。
思い出すと…
当時、私に好意をもってくれていた
先輩が、自分も大変だったと思うのに
電車が止まっている中
ひたすら歩いて、2時間かけて、
私の安否を確認に来てくれました。
確認すると、「よかった!」と
また、歩いて帰っていかれました(笑)
いま、考えると、なんて愛でしょう!!
グランアモーレ!!!
その時は、
「わざわざ、ありがとうございます」
ぐらいで、あんまり深く考えてなかった
( ̄∇ ̄)若いって、すごい。
いや、、本当に非常時だったので
まったく頭が回ってなかったな。
反省
その後、大阪にいる親友から
電話がかかってきて
(自分発信は全く出来なかったのに)
「大阪は、大丈夫だから、おいで!」
って。その優しい言葉にすがって
一目散に、西宮市から逃げました。
甲子園から、電車が動いている所まで
歩いて、大阪に向かいました。
朝、起きたままの
スッピンで、とりあえず着た服で
逃げ出してきた私
大阪に近づくにつれ
見慣れた「日常」を目にして
唖然としました。
化粧をした、綺麗な格好の人たち
普通に開いてるお店
ベランダに洗濯ものを干すお母さん
なんか、とてもとても
たまらなくなって
電車の中で泣きました。
悔しさ?
安心感?
なんなんでしょう。
あの光景は、思い出しただけで
今も泣けます。
あまりにも、
差があって、言葉にするのは
難しいのだけど、とにかく
泣けました。
私の被災体験は、たった半日です。
すぐに大変な場所から
逃げてしまいました。
申し訳ない気持ちもしました
兵庫の中では
被害の少ない方に入ると思います。
それでも、心に深く
怖さや不安が残っております。
大小にかかわらず、あの地震を
体験された方
そして、心配された方
あの日のこと、忘れられませんね
(T ^ T)
そして、忘れてはいけませんね!!
あの時、たくさん
心配してくださった方
助けてくださった方
本当に、本当に
ありがとうございました!!
追記
母より電話があり、親友のKちゃんからの
電話は、西宮ではなく、実家にあったんだよ!と訂正が入りました。
おお!記憶違い
西宮の私に電話が繋がらないので
心配して、わざわざ、実家に
電話をくれたそうです。
「大阪は、大丈夫なので、よかったら
うちに来てもらってください」と。
公衆電話から、実家に電話した私に
母が、伝言と電話番号を伝えてくれました。母も私も、温かい言葉に救われました。
心強かった(*´꒳`*)感謝