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よこけんの右往左往

「よこけん」こと、 ミュージカル俳優、横沢健司のひびを綴った日記です。

僕には、演技の師匠が2人いる。

お二方とも「弟子にした覚えはない」と言うだろが、いつか「あいつは俺が育てた」と自慢して貰えるようになりたい、僕の理想の先生なのだ。

1人は、今、勉強させて貰っている演劇倶楽部『座』の壤晴彦さん。

僕が25年ずっと探し続け、朧げながら「この辺にあるんじゃないか」と、やっと所在だけは突き止めたパズルのピース。それを全部持っていて、熟知していて、そして惜しげもなく披露してくれる、僕にとってデウスエクスマキナ(機械仕掛けの神様)みたいな人だーー教えてもらった、その膨大な量のピースを組み立てるのは、まだこれからだーー。


もう1人は、専門学校時代の先生、小林裕(ゆたか)先生。残念ながら、既に鬼籍に入られている。右も左も、上も下も白も黒も分からない僕に、扉を開けて、見渡す限り地平線の様な演技の世界を見せてくれた。

当時、学校で教えるのが初めて、という先生は、僕ら学生達とどう接するか探りながらも、一人一人の特性を見極めながら、きめ細かい授業をしてくれた。音大付属の学校だったので、ミュージカル科はいつも肩身が狭く、教室の使用や時間の配分で、学校の偉い人と良く衝突していたのを知っている。不器用でチェーンスモーカーの、ハードボイルドな先生だった。

先生は、生徒との距離を縮めるため、自分の事を「お父さん」と呼んでいいよ、と言ってくれた。そう呼んでいるクラスメイトも居たが、甘えるのが苦手な僕は、照れもあってそう呼ぶことはなかった。

学園祭を観に来てくれた先生の「なんて(ひどい)芝居をするんだ……」という呆れ顔は、今でも良く覚えている。僕の期は男子1人だったので、あちこち引っ張りだこで、ステージに忙しくしているだけで、瞬く間に2年が過ぎた。

劇団四季の研究所に合格した事を報告すると、寂しそうにしていた。今ならその気持ちも手に取るように分かる。親を喜ばせたいから、と理由を言うと、「優しいな」と言ってくれた。

先生とは卒業後、一度偶然に出会った事がある。その頃先生は東宝アカデミーで演技を教えていて、僕は出演作の稽古で、同じ稽古場に通っていた。僕の方が一方的に先生に気付いたのだが、その頃まるで演技が上達していなかった僕は、先生に堂々と挨拶できる資格がないように思えて、恥ずかしくて声をかける事が出来なかった。ずっと、いつか素晴らしい演技を引っ提げて、「上手くなったな」と言って貰いに会いに行こうと思っていた。

おそらく、先生は、僕がこれほど慕っているとは知らないままだったと思う。先生から最後に貰った課題、『アマデウス』のサリエリの台詞の一節、未だに答えは見つかっていない。が、あの頃はどう手をつけたら良いかさえ皆目見当もつかなかったが、今はアプローチの仕方くらいは分かるようになった。遅まきながら、今やっと、先生に演技を習う準備が出来たのかなと思う。

その課題は、餞別にと戯曲(本)ごと貰ったのだが、そこにメッセージを添えてくれた。「素敵な俳優になって下さい」と。


今、演技を学んで、ちゃんとしたミュージカル俳優になりたいという想いの原点は、間違いなくここにある。

まだまだ、今のままではとてもじゃないけれど堂々と顔を合わす事は出来ない。ここまで待たせたのだから、もうしばらく(或いはだいぶ)気長に待っていて貰えるだろうか。