昔話稲妻表紙  巻之四 (第十二) | 五郎のブログ

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桃源郷は山の彼方にあります

第十二 修羅の太鼓。

 さて銀杏の前は、山三郎に助けられて、生駒山の麓(ふもと)まで逃げ延びたが、辻堂で追手の者に捕らえられて、不破道犬の手に渡り、蜘手の方の奥深い御殿の、奥まった一部屋の中に押し込められて、日の光さえ見ることが出来ず、月若の身の上が心配なうえに、気持ちが日々落ち込んで、身体もしだいにやせ細って、命も危なく見えた。
 それだけでなく、道犬は蜘手の方と密談して、大殿判官の命令と偽って、銀杏の前を引き出して、二人で代わる代わる昼夜絶え間なく、現責め(うつつぜめ・睡眠をとらせず、夢うつつの状態を続けさせて白状させた拷問)にして、月若の行方を白状せよと責めた。

 無残にも銀杏の前は三日三晩の現責めに疲れ果てて、思わず眠ると、道犬は耳の側で太鼓を鳴らして、眠りをさまさせ、少しの間も眠らせず、夢幻(ゆめまぼろし)の世の中で、夢も見せないとは哀れである。
 道犬は眼を怒らして「どうですか銀杏の前殿、月若殿の行方を知らないとは、いくらなんでもそれはないでしょう。はやく白状して下さい。大殿の厳命なので、とても逃れられないところです」と責めて聞くと、銀杏の前は瞼(まぶた)を重そうに眼を開いて、苦しそうに息をして「こんなに休みなく責られて、夜なのか昼なのかも分からない、夢か現実か寝ているのか醒(さ)めているのか分からない気持ちがして、どれだけ愛しいと思う自分の子でも、居場所を知っていれば、朦朧(もうろう)として言ってしまう、どうやって包み隠せるのか、考えてみてよ道犬」と言いながらまた眠ると、また太鼓を打って目をさまさせる。
 眠れば打ち、打てばさめて、水責め火責めにされるよりも、遥かに辛い責め苦である。
 側にいた蜘手の方は、膝を少し前に出して近くに寄って「今でもまだ少なく、三日三晩の責めなので、本当に正気を失った状態になっていないと思う、長い責めを受けるより、さっさと一言白状しなさい、これ以上話さないのなら、骨を砕いて肉を削いでも、言わさないでおかない。さあ言え、さあ答えろ」と、角の無い夜叉(やしゃ)の様相になって、食いつきそうな有様であった。
 銀杏の前は顔を上げて「どんなに言っても、知らない事はどうしようもない。ただこうなっては、少しでも早く殺してくれるのが情けでしょう」と、さめざめと泣いた。
 紺青(こんじょう・濃い鮮やかな藍色、コバルトブルー)の髪の毛は、乱れ落ちたままで結わず、顔を差し入れている襟元に伝って流れる白い玉の涙は、夷の国(えびすのくに・未開の国)の胸飾りを、目の前に見る気持ちがして、哀れと言うのも愚かである。
 蜘手の方は声を荒々しく「何としぶとい女だ。とても正気では白状しない。いつまでも手を緩めず、責め疲れさせて正気でなくさせて言わせてやる。道犬太鼓を打て打て」と命じると、道犬は分かりましたと、耳の側に近づけてドンドンと打ち鳴らせば、銀杏の前の身にとっては、修羅の太鼓と同じであった。
 一百三十六地獄(八大地獄と、それぞれに付属する16の小地獄とを合計した数の地獄)、いろいろある呵責(かしゃく・責め苦しめること)でも、たぐいまれな責め苦である。
 ちょうどこの様な時に、取次ぎの者が急いでやってきて、「黒星眼平がただいま帰国して、御次に控えていて、お会いになるのを待っています」と申し上げると道犬は聞いて「それは急いでここに呼べ」と言うと「分かりました」と退いた。
 ほどなく眼平が参上して、縁側に頭をさげて言った「月若殿の行方を捜して、御首を討ってまいれとの仰せにより、あちこち方々捜しているうちに、報告する者があって、丹波の国穴太の里に住む、六字南無右衛門という者が、かくまっている事を聞き出したので、急いで向かって行った所、彼はどうしてか捕らえる者達が向かっているのを知り、若君を連れて逃げ去り、行方知れずとなりました。南無右衛門という者はほかでもない、佐々良三八郎のことでございます」と偽首を受け取った自分の落ち度は隠して、いかにも本当の様に話した。
 蜘手の方はこれを聞いて「それは残念だ。こうなっては銀杏の前を責めても意味がない。彼女はすぐにも殺すはずであったが、結局は月若の居所を言わせようとして、今日まで生かせておいた。もし大殿の気持ちが変わって、命を助けることがあったら、後日の妨げになる。さっさと彼女を殺しなさい。月若と三八郎の行方は、より厳しく捜すように。道犬、あなたははどう思います」と言うと、道犬はうなづいて「自分もその様に思います。そうだからすこしの猶予もよくないです。幸い日も暮れようとしているので、今夜のうちに、御首を打つべき。良いか眼平、おまえは銀杏の前殿を乗り物に乗せて、夜の暗闇にまぎれて岩倉谷に運んで行って、ひそかに御首を斬って来い」と命令すると、眼平は信頼する部下を呼んで、庭先に乗り物を持ってこさせて、朦朧として倒れている銀杏の前を情け容赦なく荒縄で高手小手に縛りあげて、乗り物に押し込んで手下に担がせて付き添って、庭伝いに出て岩倉谷に急いで行った。
 銀杏の前はこのごろの疲れで、乗り物の中で熟睡して、身の危険を全く知らなかった。屠所(としょ・家畜を殺して処理する所)に歩いてゆくのはそれほどではなく、岩倉谷に行き着いて、眼平は命令して、とある所に乗り物を置かせて、戸を開けて銀杏の前を引き出した。
 銀杏の前はこの時になって、ようやく少し眠りから覚めて、眼を開いて、まず自分の身の周りを見ると、縛っている縄がある。
 辺りを仰いで見渡すと、月の光は明るいが、どこの場所かは分からない。松に吹く風は梢を鳴らして、谷の水音が耳に響いて、物凄く聞こえたので、これはまだ夢の中なのかと、さらに疑いは晴れなかった。
 眼平は向かい合って言った「どうですか銀杏の前殿。ここは有名な岩倉谷と言う所です。大殿の厳命により、ただいま御首を打ちますので、念仏をしたいと思うのでしたら、はやく唱えなさい」と情けもなく言った。
 銀杏の前はこれを聞いて「さては私の身もこれまでか。捕えられたその時から覚悟の上の命なので、驚くことではないが、死にぎわにただ一目、月若を見れないのが、この世の心残りなのだよ」と、しきりに涙を流して嘆いた。
 たとえば鉄を鋳造をした人が、岩石でもって作った物と言っても、すこしは愛着を感じるものなのに、ものの哀れを理解できない、野蛮人の心である眼平なので、歎きを耳に聞き入れず、氷の様な刀を抜いて、左の方から踏み込んで、もうこれまでと見えた処に、遥か向こうの茂る林の中から、ドンと一声響きわたって、たちまち弾丸が飛んできて、眼平の胸板を打ち抜いたので、血を吐きながら逆さまに翻って、燻(くす)ぶってひっくりかえって死んだ。
 部下たちは魂が天外に飛び去って、頭を抑えて逃げ去った。
 しばらくあってから林の中から、忍び頭巾に顔を包んで、黒装束をした者が、手に火術の道具を持って、ゆうゆうと歩いて来て、驚いて伏せている銀杏の前を引き起こし、小脇に抱えて、何処ともなく走っていった。
(これより、原著者の宣伝文句)
 これは善人か悪人か、はたまた敵か味方か、何者なのかということを知らない。
この者の姓名を知ろうと求めるのであれば、巻之五の下冊十九回を、読んで知るべし。


【図は立命館大学ARC古典籍ポータルデータベース hayBK02-0004 より】 

銀杏の前岩倉谷において首をうたんとす。
時に何者ともしれず太刀どりを打ちころして銀杏の前をうばい去る。

 

【国立国会図書館デジタルコレクション  明19・2 刊行版より】