第十一 断絃の琵琶 (1/2)。
さて六字南無右衛門は、若君を救って我が家に帰り、ひとつの部屋の中に隠しておいて、娘の楓と共に、朝夕心遣いをして使えて、しばらく月日を送ったが、ある日若君に少し気晴らしをさせようと、楓に言いつけて誘わせると、かわいそうにも月若は世に美しく生まれたのであるが、妖鼠の為に髪の毛を食い尽くされ、剃髪の姿となり、頭に似合わぬ振袖の、綾の小袖の模様さえ、ゆらゆらする乗る人もなく捨てられたままの舟(侘しい例え)薄縹(うすはなだ・染め色の一つ)の奴袴(ぬばかま・幅がたっぷりと広く裾に括り緒のある袴)も、涙の痕が染みとなって、みすぼらしそうに出てきた。
南無右衛門は楓に命じて、柴の折り戸を守らせて、若君を上座に座らせて申したのは「狭い部屋の御隠れ家、さぞ御気づまりとは知りながら、人目をはばかる御身なのでしかたがないのです。ご先祖をさかのぼると、人代五十九代の帝、宇多天皇の御末裔にて、佐々木成頼(しげより)公の末孫(まっそん・血筋の末の子孫)と生まれなさって、多くの人に使えられて、金殿玉楼(きんでんぎょくろう・非常に美しくてりっぱな建物)のなかで生まれ育ちなされて、錦の寝具に玉の床、なんの一点も不足なく、強い風にすらあたらない御身なのに、奸臣佞者(かんしんねいじゃ・よこしまな家来や人)の為に世を苦しめられ、この様な貧しい家に隠れなさって、粟(あわ)の飯、橡(とち)の粥で、わずかに御命をつなぐだけ。わらびのみだれた紙ぶすま(紙で作った粗末な夜具)、夜の物さえ薄着で、壁から漏れる月の燈火に暗い御身となってしまう哀れさよ」と言うと、若君が言うには「あなたの忠義の志は身に余る。私の身がどうなろうと嫌ではないが、ただ気遣うのは父母の御身です。父上は御勘当の身の上となった後、何処の、どの様な所にいるのだろう。母上は名古屋山三郎に助けられて逃れたが、これも御所在を知らない事で、追手に捕らえられたのかも知れない。ああ恋しい父上よ、懐かしい母上よ」と、しのぶ涙にむせぶと、南無右衛門はその気持ちを推量して、ともに(涙で濡れた)たもとを絞った。
このような時に外の方で、人の足音が響いて、南無右衛門は楓に目配せして、若君を部屋に隠れさせて、なんでも無いような様子でいた。
人の親の心は闇ではないが、盲人となった我が子の為に、道に迷った杖と小笠、旅にやつれた女が琵琶を背負って、盲目の子の手を引いて、四年ぶりに我が家の、軒の垣衣(かきい、のきしのぶ・ウラボシ科の常緑多年生のシダ)の露の深い草を踏み分けて、柴の折り戸をトントンとたたくと、誰だと怪しんで、南無右衛門が戸を開いて見ると、妻の磯菜と子の文弥で、京都より帰った様子なので、これは思いがけないと、とりあえず引き連れて中に入った。
楓は早くも母の声を聞きつけて、すぐにはしり出て、夫婦姉弟の四人の者は久しぶりの対面にお互いの喜びは言うまでもない。
楓はたらいに湯を満たして、母の裏脚(はばき⦅脛巾、行纏、半履⦆・旅行や外出のときに脛に巻きつけた布製のもの。脚絆)と草鞋を脱がせて、足を洗ったりすれば、今も変わらない孝行だと、嬉しさに堪えないようであった。
さて磯菜は夫に向かって「言うことも聞くことも沢山あって、何から話しましょうか。まず話すのは文弥の事、幼いですが芸道に心をささげて、少しも怠ることがなかったので、いつの間にか素晴らしくなって、師匠澤角検校殿も、たぐいまれな技量の者と称賛なさって、紫檀(したん・銘木)の甲(琵琶・琴などの胴の部分)の琵琶を一面(琵琶・琴などの数え方)に、秘曲の免状を添えていただきましたので、一つには彼の曲を一曲聞かせたくて、二つは楓の顔を見たくて、なんとなく故郷がなつかしく、文弥もまた、あなたや姉を恋しがるので、にわかに思い立って、師匠に少しの休暇をもらって、やってきました。」と話せば、南無右衛門はひたすら喜び、
久しぶりの対面、無事な顔を見て安堵した。
「芸道も上達したのか。しばらく見ないうちになんともよく育った。見違えるほど背が高くなったな」としきりに文弥の頭を撫でながら言うと、文弥はうやうやしく両手をついて、「父上御安泰の様子を聞いて、喜びに堪えません」と大人びて話した。
楓は今年十六歳、姿はますます美しく、手織りの木綿の振袖も、綾羅(りようら・綾絹と薄絹)にも見違えるおもむきであるが、母のそば近くに寄って「長い在京に、さぞご苦労しているだろうと、明けても暮れても気遣って暮らしていましたが、無事な様子を見て、ようやく心がやすまりました」と言うと「いやいや、自分の苦労よりあなたの事、妖蛇は今も去らないので、その身でもって父上に孝行尽くす苦労は、さぞ大変だろうと推量して、分かれていても片時も忘れる事は無かったですよ。縫物も髪も上手にできると、父上の便りでよく知っている」と、後ろを向かせて、髪が肩や背に垂れ下がっているようすを、つくづく見回して、「なんとまあ綺麗によく出来ている。この着ている物も、あなたが縫ったものね、ああ素晴らしい手際です。広い都の中にさえ、あなたの様な娘はまれ」と思えばますます妖蛇の事を思い出してかわいそうだと、何かにつけても子を思う親の心がやるせない。
少したってから南無右衛門は佐々木の館の騒動、柏木の忠死の仔細、若君をかくまって置いている事の終始を語って聞かせると、磯菜は驚いて「不慮の災難、御気の毒に」と泣くと南無右衛門は「どのように話しても、元には戻らない事、お前も文弥も、久ぶりに若君に、お目見えいたしなさい」と楓に奥の部屋に連れて行かせて、くろ木(黒檀⦅こくたん⦆)の念珠を爪繰って、例の念仏を唱えながら、長い時間を過ごした。
雲間から射す日の光がようやく傾くころに、京からやってきた古書画の商人が、忙しそうに走って来て「前日に見せました、金岡の百蟹の絵巻物は、他に望む人が出て来ましたので、今すぐお支払いがなければ、望む御方に渡さなければなりません。どうしますか」と言う。南無右衛門はそれを聞いて「それはあまりにも緊急である。せめて三日待ってくれないか」と言えば、
商人は頭を振って「自分も旅をしている事なので、三日は待たれません。それなら今夜の三更(さんかう・午後12時)の時まで待ちましょう。その時刻が過ぎたなら、すぐにあの方に売ります」と、言葉を堅く約束して帰って行った。
その後すぐに外の方で人の声がして、足音が響いたので、何事かと怪しむ間もなく、村長に案内させて、捕手の仲間や手下達が、ドヤドヤと入ってきた。手下達の頭である黒星眼平と言う者は、首桶を小脇に持って声を荒々しく言ったのは「お前佐々良三八郎、今の名は南無右衛門とかいうようだが、月若殿をかくまっていると報告する者があって、大殿の御耳入り、首を討ってまいれとの厳命である。おまえ自身が討って渡すか、自分が直接打つか。返答はどうだ」と呼びかけた。
南無右衛門は胸がドキドキしていても、なんでも無い様に「若君をかくまっているなどと、誰が言ったのか、夢にも知らない事である」と何気ないふうをよそおって言うと、眼平はカラカラと笑って「お前がかくまっている事は明白である。むやみに抵抗するのであれば、このあばら家を蹴り破って、家探しする。もしまた素直に首を討って渡せば、その功績により、お前の旧悪は許してやる。返答によっては、お前も共に捕まえて、藤波を殺し巻物を奪った旧悪を裁く」とからめ手で攻めると、さすがの南無右衛門も、ほとほと当惑した様子であるが、覚悟を決めて言った「それほどの事が露見したのではしかたがない。気の毒だが若君の御首を討って渡します。しかしながら、せめて御最後の念仏をすすめるその間、少しの猶予をください」と言うと、
眼平はうなづいて「納得したのなら、少しの間待ってやろう。それなら今夜三更の時を打つ鐘を合図にとして、首を受け取りに出向くつもりであるので、かならず言葉通りにしろ。まづそれまでは、村長の家で待っている。首桶をそこに受け取れ」と渡して人々を引き連れて帰って行った。
あとに一人残された南無右衛門は腕組みして頭を垂れて、しばらく考えこんでいたが、しばらくして言った「巻物の値段が百両というのは大金なので、調達する手段はないが、一寸のびればひろのびる(当面している困難を乗り切れば、あとはなんとかやっていけて先行き楽になる)と言う諺もあるので、もし良い思案もあるのではないかと、今日明日と言いのばしてきたが、それよりなお危急なのは、若君の御身である。今夜に迫る二つの苦難、臥龍(がりゅう⦅がりょう⦆・龍が臥せた状態だが、かくれて世に知られないでいる大人物)楠氏(くすのきし・河内国を中心に、南北朝時代に活躍した南朝方の武家)の智謀があっても、逃れる道を準備する手段はない。藤波の縁の者に討たれようと、以前より思っていた命であるが、この状態ではやむを得ない。若君を背負って、逃げるだけ逃げてみて、もしだめだったらその時は、御腹(切腹)を御すすめして、斬り死にするよりほかはない」とつぶやいて、心の中でうなずいて、古い葛籠(つづら)の中から、一刀を取り出して行灯(あんどん)を下げて、奥の部屋に入ろうと、破れた襖(ふすま)をサッと開けると、盲目の文弥が、財布の中より多くの小判を取り出して、手探りで数えていたのが襖が開く音に驚き、手早く背後に隠した。南無右衛門は素早く見つけて、怪しがりながらも言った「どうして文弥、見れば余程の金を持っているが、どの様なわけでその金を持っているのだ。ここに出して見せろ」と言う。
文弥は「これは師匠より預かった金なので、父上といえども見せることはできません」と言うと南無右衛門は「師匠であっても、子供のお前に大金を預けておく理由は無いだろう。どんな理由で預けたのだ」と問われて文弥は口ごもり「いやこれは途中で拾った金です。預かったものではないです」と言葉の前後がかみ合わないので、南無右衛門はますます怪しみ「途中で拾ったものを、隠しておくのは、正しいことではない。どこで拾ったのだ。偽りないことを言え」と問い詰められて、しかたなく「実はこの金は預かったのでも拾ったのでもないです。旅の途中の旅館で、泊り合わせた旅人の金を盗み取ったのです」と聞いて南無右衛門はあきれ果てて、襟首をつかんで引き倒し「何と言うことだ、それは本当か真実か。もともとお前は孝行で、そんな非道を行うような性質ではないと、今の今まで思っていたが、都に居るわずかの間に、そのように心が変わるものなのか。これ良く聞けよ。明るい所には王法(統治者による法律)がある。暗い所は神霊がある。五戒(出家していない信者が常に守るべき五つの戒め。殺生⦅せつしよう⦆・偸盗⦅ちゆうとう⦆・邪淫⦅じやいん)・妄語⦅もうご⦆・飲酒⦅おんじゆ⦆の五悪⦅ごあく⦆を禁止する)のうち、もっとも偸盗(盗み)は重いとする。たとえ小さいごみ一つでも盗んで、決してうまく罪を逃れることはできない。けがらわしい心の奥底、あさましい考えだ」と、左手に襟首を持ち替え、右のこぶしを振り上げて、頭をねらって、連打を重ねて打倒し、怒ったり悲しんだり、熱い涙を落としながら、この様に厳しく戒めないと、もしかしたら心が直らないのではないかと、親の慈悲こそ切ないかっただろう。
文弥はやがて起き上がり、あざ笑って言った「貧乏ものの子として生まれて、正直にしていては、とても出世はできない。この金で官職を得れば、一生安泰です。そのように叱らないでください」と、聞けば聞くほど憎いので、歯噛みして声を荒げて「大胆不敵ないまの言葉、ますます自分の子とは思えない。天魔波旬(てんまはじゅん・つねに仏道を妨げ人を惑わして知恵善根を失わせようとする魔王)のしわざである。親子の愛情はこれまでだ。すぐに何処でも出ていけ」と、足を上げて蹴飛ばすと、文弥は財布を懐に入れて「勘当受ければ、親でも子でもないので、長居は無用」とつぶやきながら、辺りを探りながら出て行こうとした。南無右衛門は怒りが我慢できず、走り寄ってまた蹴り倒すと、起き上がってまた悪口を言う。悪口を言うとさらに蹴り倒し蹴り倒せばますます悪口が止まない。
南無右衛門ますます怒って、頭も腹も容赦なく、踏みつけ踏み倒せば、文弥は苦しそうな息使いになりながら、なおも悪口を止めないので、南無右衛門は怒りの気持ちが頂点まで達して、刀をすらりと抜く手も見せず、肩先四五寸を切り込むと「あっ!」と一声驚いて、うつ伏せに倒れて込んだ。続けざまに斬ろうとしたが、愛情千筋の葛籠(つづら)の紐(心の底にある親の愛情を比喩的に表現したと思われる{訳者})が足に絡んで後ろの方へ引き戻される気持ちがするのを、思い切ってまた振り上げた刀の下に、妻磯菜が走り出て「いやしばらく待ってください。言うことがあります」と留めると、南無右衛門は「いや留めるな。かえって生かせておいて、罪をつくらせるよりも、一思いに手にかけるのが親の慈悲だ」といいながら、磯菜を押しのけ突きのけて、なお斬りつけようとした。
磯菜は夫の手にすがり、その身を敷物に引き戻し、息をつきながら「あの金は盗んだものではないです。本当は楓の身の代金です」と言っても南無右衛門は納得できず「妖蛇に見込まれた片輪(かたわ・現在では差別用語、身体障害者)の娘を、なぜ大金を出して抱えるのだ。お前も一緒にだますのか」と睨み付けると、磯菜は奥のほうに向かって「これこれ娘ここに来て、父上にあなたの心の底を話しなさい。はやくはやく」と呼ぶと、娘の楓は一声応えて走り出てきたが、文弥が斬られている様子をみて、むせび泣いて倒れた。
【図は立命館大学ARC古典籍ポータルデータベース hayBK02-0004 より】
六字南無右衛門、月若をかくまいおく。
南無右衛門妻磯菜、盲兒の文弥を具して京より家に帰り来。
南無右衛門怒りにたへず、一子文弥を手打ちにきりつくる。