桜姫全伝曙草紙(さくらひめぜんでんあけぼのさうし) 巻之三 (第九 、十) | 五郎のブログ

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桃源郷は山の彼方にあります

 第九 蝦蟇を咥えて小蛇両士を会わせしむ。
 弥陀二郎は、去る建久元年まで十八年の間、日本の六十余州の国を回り、神聖な場所も世俗の場所も行かない所はなく、この国にあの郷里にと仮住まいして、人々に仏の道を教えて、このころは東北に居たが、一度故郷に帰って桑田郡の様子を見ようと、頻りに思って帰路へと向かい、相州(神奈川)足柄を越えて、竹の下道を過ぎた時、突然雨が降り出して、側の辻堂に入って雨宿りをした。
 その後から竹の笈を背負った旅の僧が同様に辻堂に入って来て休み、弥陀二郎の持っていた錫杖と鉦をつくづくと見て、疑わしそうな顔で「あなたの持っている鉦の裏に常照と言う文字はありませんか」と言うのに「その通りです」と答えた。旅の僧は再び「あなたは、その二つの物はどのようにして持ったのですか、必ずなにか理由があるでしょう」と言った。
 弥陀二郎は、この僧をよく見ると、かつて額に焼き印をした僧によく似ているので、たいへん不思議に思い、礼儀正しく言ったのは「この二つの品については、有難く尊い出来事があります。話して聞かせましょう」と言って、自分は元来性格が悪かった事を始めとして、淀の一口で托鉢僧の額に焼き印をしたが、粟生野の光明寺の釈迦仏の額に火傷の痕があったこと、仏のお告げにより、淀の神の木で霊仏を感じて得て、悪二郎と言う名を替えて弥陀二郎と呼ぶ理由、国を巡る修行に出たまでを細かく語り「あなたの容貌はその時の僧によく似ています」と気になっていると、旅の僧は聞き終えて「思った通り仏のお告げに違いない、私の方にも普通ではない貴重な出来事があります。お聞きなさい」と言って話したのは「そもそも私は黒谷上人(法然)の弟子で、専修念仏の修行僧です。去る建久の頃は山城の国にいて、毎日淀の辺りを勧化(かんげ・仏の教えを説く事)をしていたが、一夜の夢に容貌端麗な僧侶が枕紙(枕もとに置く紙に)立って言われたのは、お前は今後淀の辺りに行ってはいけない、もし行ったのなら、必ず災いがあるだろう。お前の錫杖と鉦を渡しなさい、私は一人の悪漢を救って悟らせるため使う事がある、と言われたと思って夢から覚めたが、側に置いあった二つの品は既になくなっていた。自分の僧侶としての名を常照と言うので、鉦の裏にその文字を彫り付けておいた。今あなたが身に携帯している二つの品は、私の持ち物に間違いないです。その後、淀には行かずにすっかりと過ぎてしまったが、それでは夢の中の聖僧は光明寺の釈迦仏であり、私が所持していた二品を取って、私の姿で現れて、あなたを救ったのですか、有難く尊い」と感涙を流してさらに言ったのは「その後、私は阿弥陀の真実の身を拝むべきだと願って、八幡の神宮に祈って心に思うことがたくさん混ざっていたが、ある時、太神(八幡太神宮の神?)が告げて下さったのは、阿弥陀仏の真実の身を拝もうと思うなら、淀の弥陀二郎と言う者に会いなさい、彼は真実の身の弥陀を守って差し上げている、とおっしゃられた。これによってあなたの居る所を探すと、国を巡る修行に出てから何年もたって、故郷には帰って来ていない事を聞いて、私は常にかねてからの願を遂げることが出来ないのを嘆いていた。今日は思いもよらず出会ったことはとても嬉しい。今話された水中より現れた御仏は、真実の身の弥陀に疑いない。じっくりと拝ませて下さい」と言うと、弥陀二郎は奇異な思いがして「さては光明寺の尊像は、上人(常照)に変わりなさって、私を悟りの境地に導いて下さったのか、有難く畏(おそ)れ多い。その霊仏とは、つまりこれです」と、笈を開いて拝ませれば、常照阿闍梨は心打たれた思いで、心の奥底に突き通り感涙を雨の様に流した。
 さて、弥陀二郎は言った「私は以前より仏堂を建てて、この御仏を安置して差し上げる大きな願いがあり、その為に何年も諸国を巡って多くの人々を導いて、旅の途中であるので、その布施の物を背負うことが出来ないので、その最寄りの粟生野の光明寺に与えて置いて、すでに半ばまで整ったけれども、いまだに寺を開くための徳を持った人を得ていない。良い事に上人はこの御仏と縁が深いので、お願いしたいのは、協力していただいて、寺を開く基の主人となって下さい。私は以前より頭を剃って墨染の僧衣になる(出家する)希望がありますが、主君の為に一つの功績をたてて、旧悪の罪を償った後ではないと、姿を変えられない事情があるのです。煩悩 がある身なので、このような霊仏を守らせていただくのには懸念があり、心に決めた目的を遂げるまで上人に預けいたします」と伝えれば、常照阿闍梨は彼が悪を去って善に帰った心に思うことの誠実なことを聞いて、並みの人ではないと感嘆して「仏堂のことは私も力を尽くします」と、御仏を受け取って自分の笈に納め、光明寺で再会しましょうと互いに約束して、ようやく雨が止んだので、常照阿闍梨は別れを告げて出て去っていった。
 
 弥陀二郎は、あとを見送くって立っていた時、野寺の鐘が夕暮れを告げて、日も暮れようとするので、寧(むし)ろこの堂で一晩泊まろうと思い、鉦を鳴らし念仏を唱えて居るうちに、たちまち一陣の冷風がサッと吹いて木の葉を散らし、弥陀二郎が身体の中まで冷える通ると感じたが、何処からともなく一匹の蛇が出てきて、石の地蔵の後ろに入り、やがて畳んだ紙の様な物を咥(くわ)えて再び出てきて、紙を食い破って中から蝦蟇の干からびたのを出して、食おうとする様子である。
 弥陀二郎は怪しく思って、蛇を追い払ってその蝦蟇を見ると、長い尾の蝦蟇で、普通の物ではないのでますます怪しんで、石仏の後ろを覗いて見ると、若い旅の侍が熟睡している様子であった。
 弥陀二郎は錫杖で床を衝いて音を鳴らすと、その侍は眠から醒めて、欠伸をして背伸びしながら弥陀二郎を見て、「お前はどんな奴だ、私の眠りを邪魔したんだぞ。修行者に装った盗賊の奴だろう。こい、殴り倒してやる」と殴りかかると、弥陀二郎はがっしりと腕を抑え「お前こそ盗賊だろう。これを見ろ。今一匹の蛇が出てきて、これを咥えて出したのは、お前の懐の中からなのは確実。世に稀なこの尾長蛙を持っているのは、蝦蟇使いの盗賊に間違いない。捕らえて糾明しなければならない事がある。さっさと罰を受けろ」と、腕を返して、捻(ひね)り倒そうとしたが、この侍もただものではないと見えてものともせず、すぐに片足を飛ばして弥陀二郎を蹴り倒そうとした。弥陀二郎も早業の達人なのでひらりと身をかわして、後ろから組み付くと、侍は全身の力を肘に集めて、「呀(あ」と一声叫んで肘落としを落とすと、弥陀二郎も堪えられず手を離した。
 この様にして組みついたり離れたりして戦い、ついには髪を掴み合い、汗水まみれで捻(ね)じり倒し合った。
 時は山の端を上る月夜の光に照らされて、侍が弥陀二郎の顔をじっくりと見て「ちょっと待って下さい、あなたは真野水二郎ではないか」と言った。
 弥陀二郎は元の名を呼ばれて、疑い深そうに手を放せば、侍は重ねていった「自分が丫角(つのがみ・成人前の髪型)であったので見忘れたのでしょう。篠村八郎公連の息子、公光です」と言う。弥陀二郎は驚いて「なるほど、見おぼえた所が残っている」と、お互いに思いがけない出会いを喜ぶこと限りがなかった。
 公光は言った「あなたはどのようにして、この蝦蟇の話を知ったのですか」弥陀二郎は「自分は今までの過去の非道を悔やみ、主君の為に一つの功績を遂げて、かつての悪行を償おうと思っていた時に、その前の年に、主君が愛した玉琴を蝦蟇使いの賊が盗み去ったと聞いて、彼女が元の白拍子であったとき、私は見知っていた女性なので、諸国修行のついでに、あの盗賊を探して玉琴の生死を糾明して、一つの功績にするように心掛けていたが、いま蝦蟇を見つけて、あなたとは夢にも知らず、あの盗賊だと思って無礼な事におよんでしまった。あなたはまた何のためにこの物を持っているのですか」
 公光「これには長い話があります」と、玉琴を奪われて、父の公連が自殺したこと、主君の慈悲で暇をもらって、玉琴の行方を捜して十七年の間、諸州各府に仮住まいして、つらい年月を過ごした事を話せば、弥陀二郎初めてその仔細を知り、自分もまた霊仏感得のことなど取り混ぜて話し、夜通し互いの苦難を語り合って夜を明かし、ついに再開を約束して別れた。
 
 第 十 桜姫宗雄を慕いてひとたび病に臥す。
 さて、桜姫は三木之助伴宗雄(みきのすけばんのむねを)を見始めより、国へ帰ってもとにかく忘れられず、ひたすら思いに駆られたが、何処の人で何という者か、その姓名も分からず、物思いを聞いてくれる様な人もいないので、誰かに話して慰めることもできず耐え忍んでいたが、ついに病気となり、すこしも物は食べず、顔も身体もやせ細ってしまったので、漢の李夫人照陽殿(武帝が熱愛した美女若くして病死、武帝が反魂香で再びその姿を見た話しもある【白居易の漢詩・李夫】{訳者})が病床に臥した件もこの様だったのかと人が話した。義治夫婦はたいへん驚いて、名医を呼び良薬をあたえ、いろいろ療養をしてみたが、全く効果がなかった。
 野分の方は、子を憐れむ気持ちが世の人よりもなを厚く、強悪な性格に少しも似ず、姫の病を深く悲しみ、昼夜かまわず、枕元に添い、心を尽くして看病したが、そのかいもなく、聡明で賢い頭も子のために闇で暗くなり、大胆不敵な性格も子を思う情けに弱り、位の高い僧や修験者の加持祈祷はいうまでもなく、堀川の盲(めくら)入道の占い、照日の巫の梓(あずさ・梓弓占いに使う、どちらも庶民の通俗的占い{訳者})にまで聞いてみたが、その病根は判明せず、いつ病の訪れが終わるのか見えなかった。
 こうしてその年もくれ、承元二年の春になり、桜姫の病は少し快方に向かい、両親の喜びは格別で、保養の為に宮脇村の下屋敷移らせ、腰元や少女を多く添えて、歌合せ、絵合わせ、楽器の演奏に心を慰めた。
 頃はちょうど三月の空で、百花があらそうように咲いて、烏雀が営巣して、めでたい気持ちを人々が催す時期になり、庭の桜も今が盛りだが、姫は日頃好んでいる花を見る事すら辛い気分で、かえって去年京に行った時を思い出して、宗雄のことだけが胸に絶えず、とにかく思い悩んでいた。
 ある日、腰元達が集まって、何か慰み事として、爛漫(らんまん)とした花の下の小さい座敷に姫を移して、十種香、貝合わせなど、様々な遊びをしていた時に、飼っていた猫が、桜の枝に蝶が飛んでいるのを見つけて、築垣に駆け上って蝶に夢中になったが、首に結んでいた、くけ縫い(和裁で、布端を始末するときに、縫い目の糸が表から見えないようにする縫い方。耳ぐけ・三つ折りぐけなどがある)の紐がほどけて花の枝に引っ掛かり、猫はもとの所へ飛び返った。

 ここに三木之助伴宗雄は、父に召使えていた悪い妾の告げ口により、その身になんの罪も無かったが、父希雄に勘当されて、播磨を離れ当国をさすらっていたが、この四五日前に当住所に移り、この下屋敷の築垣を一重を隔てた空き家を買って住んでいた。
 彼は生まれながら淑(しと)やかで優雅であり、常に読書を好み、詩歌を吟じ琴を弾いて楽しんでいた。
 さて、ある日外に出て、晴れ晴れとしない気持ちを慰めていると、築垣を越えてこちらへ差し出ている花の枝に物があり、風になびいてカラカラと響いた。宗雄は竹の竿を取って、打ち落として見ると、金銀の鈴をつけた、綺麗なくけ紐である。「これはきっと隣の屋敷の飼い猫の首輪だろう」と独り言を言ったのが漏れ聞こえて「それはこちらの物です。返してください」と言う。
 宗雄はこれを聞いて、梯子を取って塀に登って、あの紐を投げ渡したが、いま物を言ったのは桜姫の腰元である。
 この時、宗雄と桜姫は顔を見合わせて、あまりに思いがけない出来事なので、胸を轟かすばかりであった。
 姫は嬉しさと恥ずかしさにサッと顔を赤く染めて、何とも話す言の葉もなし。
 宗雄は、彼女は宇治川で出会った御婦人に違いない、さては鷲尾の令嬢であったのかと、初めて知ったが卒爾(そつじ・突然)にものを言いづらいので梯子を下りて家の中にはいった。
 姫は遊びにも手が付かず、心も現実から離れて、さながら酔った人の様であった。
 考えてみると、宗雄が思いがけず隣の家を買ったのは、全く前世からの縁が深く、縁あれば千里も逢い 易く、縁なければ対面も見難し、と言うことわざと同じ話である。
 こうして桜姫は思いのあまり、恥ずかしいのを耐えて、腰元達に心の内を話せば、腰元達は一つの計略を考えて、姫に手紙を書かせて紙鳶(いかのぼり・凧)に結び付けて空に上らせて、糸を切り放せば、風に乗って宗雄が読書する窓の下に落ちる。宗雄はこれを拾って、手紙を開いて見ると、紅梅檀紙(こうばいだんし・上質の和紙)を重ねて、日頃のやるせない思いを、細かく述べた筆の運びは拙(つたな)くない(上手である)。
 宗雄も同じ思いに、憧れていた折であるので、すぐにも返信を書いて、また紙鳶に結び付けて、風向きが変わるのを待って空に上げると、隣の腰元はすぐにこれを見つけて御簾の鉤(すだれを巻き上げる鉤)を投げて、紙鳶の糸に絡めて、返書を取って姫に渡せば、取る手も急いで開いて見ると、その思いは自分と少しも違わないので、嬉しさをこらえきれず、これより病の様子は何処かへ行ってしまい、頻繁に知らせ合う手紙を取り交わせて、逢って見ることを考えた。
 そしてある時、宗雄の手紙の終わりに一編の詩があった。
  翩々雙蛱蝶(へんぺんたるそうきょうちょう)
  時入苑中花(ときにいるえんちゅうのはなに)
  相見撫琴坐(あいみてぶしことをざす)
  西隣是卓家(せいりんこれたくか) 
 桜姫も手紙の最後に一首の和歌を書いて渡した。
  あかず見る梢(こずえ)の花し中垣のそなたに散らす風もふかなむ
 さて腰元達は計略をたてて、ある夜宗雄をひそかに入らせた。宗雄は庭づたいに来て、月明かりで周辺を見渡すと、庭の後に植えて並べた桜の花は美しい垂れ布を引いた様で、木の間々の躑躅(つつじ)は紅の毛織の敷物を置いたのに似ていた。
 松にかかる藤の花房は風にそよいで、瑠璃(るり・青い宝石)の瓔珞(ようらく・装身具)を垂れたのにひとしく、池に面した山吹は露にたわんで琥珀の連珠(れんじゅ・玉を並べたもの)を貫いたのに異ならず、築山のたたずまい、水の流れのようす、一つとして雅でないものはなかった。
 寝室の様子を見ると、軒下に玉を飾った鶯の籠をかけ、窓の下に書き物の机を置いて、紫の唐織りの錦をしいて、鋳かけ地(いかけじ⦅沃懸地⦆・器物の表面に漆を塗り,金,銀の鑢粉 ⦅やすりふん⦆を全体あるいは一部分に蒔き詰めた地)に蒔いた(蒔絵 ⦅まきえ⦆をするために金銀粉を散らした)硯箱(すずりばこ)を置き(以下、部屋の中の細々とした物の描写は省略、とにかく素晴らしい物ばかりで宗男は驚いた{訳者})
 桜姫が出てきて宗男を几帳の中に誘って、腰元達は美酒佳肴(かこう・美味しい料理)を捧げてもてなした。
 姫は想いに胸が苦しくなり、病に臥(ふ)した数日の深い心情を語り、うれし涙で袖を濡らせば、宗男は父に勘当されて当国をさすらい、思いがけず隣家に移ったことを語って、奇遇のほどを喜んだ。
 姫はいった「この程の交わした手紙で試してみたのですが、あなたは風雅詩詠(高尚な詩を詠む)を巧みにして、筆跡も昔の人にも恥じることもありません。私もまだ拙(つたな)いですが、歌を詠み、絵をかくことを好みます。最近、都より取り寄せた物語絵を見せてさしあげます」と言って取り出して見せた。
 宗雄これを見ると、野小町の生涯盛衰の事を描いた絵で、素晴らしい色彩と躍動感、まさに絶筆である。絵詞(絵に添えられた文書)を読んで言ったのは「小町、家は巨万の富を得て、容姿は三千の美より優れていると言われたが、若くして両親も兄弟も失い、年老いて子孫も親戚もない。美しかった顔も汚れた顔に変わり、玉のように美しかった身体は痩せ衰えて、ついに乞食となって路頭に倒れた。思うに古くから世に優れた美人は、よく生涯栄華を保った者はまれである。昭君色三千を奪えども、塞外の塵を免るることあたわず。(中国の古代四美人の一人王昭君の話と思われる{訳者})楊妃(楊貴妃)寵一国に隆けれども、馬嵬(ばかい・中国の地名)の死のがれがたし。万物がいっぱいになるのをさけて、全てみなこのようである。彩雲(色鮮やかな雲)は散りやすく、美しい器は砕けやすい道理であり、どうすることもできない」と言ってため息をすれば、桜姫はこれを聞いて「おっしゃる通り、人の盛衰は、いつ誰の身にかかってくるか知れません。私の様な者でも、明日のことはどうなるかわからず、思えばはかない世の中です」といって、涙ぐんだ。
 腰元達は、二人がとりとめのない話に時間を費やすのをもどかしく思い、姫の耳に当ててささやくと、姫は恥じらいながら宗雄の手を取って、おしどりの襖に入っていった。
 さて、二人は稀な男女の関係に、春の夜が明けやすいのを恨んだが、ほどなく夜明けを告げる鶏の声に夢を破られて、蔀(しとみ・日光や雨風を遮る戸)から漏れる光に驚いて宗雄は起き上り、また逢う日を誓って出てゆこうとした。桜姫は袂を掴んで「今もっと思いを深くしました。会わなかった前のほうがましでした」と言って、涙にぬれた袖を絞れば、宗雄もしょんぼりとして出ていった。
 これを始めにして、しばしば忍び合い、およそ三か月が過ぎたが腰元の他に、知る人は誰もいなかった。
(この後の東鑑による源実朝に関する考察は省略。次回からは桜姫はとんでもないことになる。二人の運命は如何に{訳者})
(図の文言 弥陀二郎辻堂に時雨を避て常照阿闍梨に遇小蛇尾長の蝦蟇を咥て両士を会せしむ)
(図の文言 桜姫伴宗雄しさひく病に臥義治夫婦これを憂名医をむかへて良薬を用或は加持祈祷或は卜筮梓の法さまで心を尽といへども快験なし)
(図の文言 桜姫を保養のため下館に移る弥伴宗雄父の勘気うけて丹波にさすらへかの館の隣家に住ておもひかけず桜姫に遭