小野小町についてもう少し書かせてもらうよ。

古今和歌集には小町の歌が10首以上掲載されているようだね。

 

(巻第十二 恋歌二)の

 

おもいつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを 

うたたねに 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼みそめてき 

いとせめて 恋しきときは むばたまの 夜の衣を 反してぞ着る 

おろかなる 涙ぞ袖に 玉はなす 我は堰きあへず たぎつ瀬なれば 

 

などは有名だね。

 

第165回直木賞を受賞した澤田瞳子(さわだ とうこ)に「泣くな道真」という作品があるね。

集英社文庫から出版されているが、右大臣という高位から突然、大宰府に左遷された菅原道真(すがわら みちざね)を描いたユーモラスな歴史小説だが、ここに小野小町が登場する。

 

少し引用させてもらおう。

 

 時代は元慶の乱(878年)から20年後。元慶の乱は朝廷の支配下にあった出羽国(秋田)で蝦夷(えみし)たちが蜂起した事件だ。朝廷の最高機関である太政官の首座である右大臣にまでのぼりつめた菅原道真は、罪状の記載がないまま京から西海道(九州)に左遷される。道真は悲憤(ひふん)慷慨(こうがい)、失意のどん底で、屋敷から一歩も出ることなく閉じこもる。

 

 

 その道真を救ったのは小野恬子(しずこ)という女性だ。恬子は25歳、もともとは内裏(天皇の住む所)で女房仕え(女官)をしていたが、やはりいろんな事情から九州まで流れてきた。鄙(ひな)には稀(まれ)な美女で頭の回転も速く、どんな相手にも遠慮のない口を利き、取り澄ましたところがない。

 

 華やかな美貌(びぼう)に似合わぬ凄腕(すごうで)で、野放図にされていた府庁の台所経営を改革し、京では幾人もの官人との間に色恋がらみの騒動を起こした。彼女に幻惑された男は数え切れなかったが、恬子の働いていた内裏では男女の交誼(こうぎ)は典雅な遊戯とみなされ、決して騒ぎ立てないのが不文律。恋愛もゲームのひとつなのだ。

 

 こうした恬子の明るさと行動力、才気と機転に、道真は徐々に心許し、生気を取り戻していく。恬子の「局(つぼね)名」は「小町」だ。物語は、元気を取り戻した道真を残し、九州を出て恬子はひとり出羽国へ再び旅に出る決意をするところで終わる。

 出羽の国は父のかつての任国であり、恬子が生まれたところだ。

 

これは小説なのかもしれないが、小町は奔放で社交的、世話好きで行動派の美人として描かれているね。

 

とりすました、美貌を鼻にかけるような女性ではなく、なんとなく可愛い感じの女性なんだね。

道真は小町の美貌よりも、彼女の親しみ易さに心を開いたんだろうね。

 

 

晩年の彼女の像にも、その性格は現れていると思うよ。