民夫は賭けに出た。土地の面積の更正登記の要否を問う問題は、ベーシックな問題で、過去問題や問題集にもありがちなのだ。そしてそれらの問題、ほとんど全てが更正登記が必要となるパターンなのだ。

 民夫は計算せずに、更正登記は要として、解答する事にした。要として、その理由も記入し、登記申請書の空欄を埋め、図面を描ける所を描いてしまう。土地を分割するラインは座標値を計算しなければ引けず、その計算をし、座標値を解答欄に記入し、図面上の土地に座標の点を記し、その点を結び線を引く。

 ここまで来て、残り時間五分となった。

分割後の土地の面積と、土地の各々一辺の長さがまだ計算出来ていない。これは時間内に無理だと思ったが、分割後の一方だけでも、と思い計算機を叩いたが、明らかに間違った数値になってしまった。もう後、一分位になってしまった。ここでまた新宿のセミナーの講師を思い出した。図面の公開添削をやった時、途中までしか出来ていない図面を見て、

「とにかく描けるもんは描いとけ、ちゅうこっちゃ。土地の所在や地番、方位、それと問題文の内容にある、そのまま描けるもんはまず、描く。とにかく答案を埋めるんや。計算する時間が無かったら、スケールで測ったらええ。」といって、土地の一辺を示した。

 土地の図はもう描けているから、定規で測った数値を記入すればいい。正確な数値ではないから、正解ではないかもしれないが、記入しないよりは得点する可能性はある。

図面上で測った数値を三箇所、記入したら、「はい、終了です」の声が聞こえた。

 試験が終了すると、民夫は眼鏡をかけて隣の爺さんの筆記用具の辺りを見る。

やはり、民夫のボールペンがあった。民夫はそのボールペンを指差し、

「それ、僕のボールペン」と言うと、爺さん「えっ、これは儂のボールペンだ、似たようなの、いくらでもあるだろ」

民夫は心の内で、「この、じじいが」と呟き溜息をついた。民夫は爺さんに、

「僕はペンケースの中身、全部出したつもりだけど、ペンケースの中にそれと同じボールペンが残ってたら、それはあなたのですけど、無かったらそれは僕のです」

そう言って鞄から革製のペンケースを取り出し、ファスナーを開けて爺さんに見せた。

中は空だった。

すると、爺さんは民夫のボールペンを手に取り、しげしげと見ると、

「これは違うかもしれねぇな、儂のはもっとインクが多いな」と、ボールペンのインクの量を指差してから、民夫に渡した。

民夫は受け取りながら、くそ爺がっ、と思ったが、

「狭いから、混ざっちゃったのかな」

と、お互いの三角定規や電卓、筆記用具などが試験後で雑然とした机の上を見ながら言った。

「混ざったな」と、爺さんは言った。

 

 筆記試験の合格発表は十一月だ。筆記試験に合格しても、これで終りではない。この後、口述試験があるのだ。と言っても口述試験で落ちる者は、ほぼいないので実質、筆記試験の合格で、よっぽどの事が無い限り、決まりだ。

 午後四時、法務省のホームページに合格者の受験番号が掲載される。

 民夫はパソコンの画面に、自分の受験番号を探した。マウスを握る手が震えそうになった。民夫の受験番号が、あった。

 後日行われた口述試験もパスして、その年末に合格証書を手にした。

 民夫はこれまでにない、達成感を得た。

だが、それから一週間もすると、何か物足りなさを感じた。毎日、同じ問題集を繰り返していた日々が懐かしく思え、その頃が充実していた事に気付いた。それは、写経でもしているかのような日々だったのかもしれない。

 新年、年明けから、民夫は司法書士の資格を目指して、新たな日々が始まった。

いつも時間が足りない民夫は、これはラッキーだと思った。問題の文章が長く、読み込むのに時間を要したが、問題自体は難しくない。

 だが、いつも図面を描くのに使っていたボールペンが無い。なんてこった。こんなチャンス問題なのに。でも、悔やんではいられない。時間が迫って来る。しょうがない。新宿のセミナーの講師が、ボールペンは何でもいい、と言っていたのを思い出し、他のボールペンを使う。文章用のボールペンと、三色ボールペンがあるが、答案構成用紙(問題検討用に白紙の紙が一枚、問題と答案用紙と一緒に配布される)で試してみると、三色ボールペンの黒で引いた線が割ときれいだった。最近買ったばかりだからだろうか。これで図面を描く事にしたが、握りがやや太く、図面を描くには慣れないので、少し慎重に線を引いた。

 それでも、建物の問題に関しては、ほとんど迷う事なく、すんなり出来た。約五十五分かかった。残り四十七分だ。土地の問題をやるには少し足りない、と民夫は思った。

 土地の問題のページに戻り、問題文を読む。

問題文は建物の問題と同様に長文で、さらにここ数年長くなって来ていた。土地の所有者が死んで、相続人が何人いて、土地を分割しなければならなくなった経緯など、ちょっとした物語を読むようなものである。ところが今年は、あっさりしたものであった。問題自体も基本的な問題だ。決して難しくない。

これなら、最後まで出来るかもしれない、と民夫は思った。だが、問題の内容で土地を分割する登記を申請する際に、その土地の面積の更正登記の要否を問うものがあり、これは分割後の面積を計算しないと判断ができない。分割する座標値も計算して出さなければならず、面積はその座標値がなければ計算できない。面積自体を計算するのも手間がかかる。時間内に、面積を計算できるか、微妙なところだ。

だが、ここ数年、建物の問題も手間がかかるようになって来た。民夫が初めて受けた以前の過去問題では、ほとんど建物の形状が単純な、まっ四角だったのに、民夫が受け始めた頃から、建物の形状に凸凹があるようになった。それも、民夫が受け始めてから凸凹が、年々増えているような気がする。凸凹があると、図面を描くにも、面積を計算するのにも時間がかかる。間違えやすくもなる。年々、難しくなっている印象だ。ただ、建物の問題が複雑な時は、土地の問題がやや易しくなっていた。バランスを取っているのだろうか。

それでも建物より土地の方が、面積などの計算は複雑なので、建物から手をつける。

今年はどうだろうか。建物の問題のページを開く。民夫は、「おっ、これは」と思った。

ここ数年の傾向からすると、はるかに単純な形だ。凸が一箇所あるだけだ。凸ありの主である建物と、附属建物の二つの図を描く事になるが、附属建物はまっ四角で簡単だ。