父親と芸術 | ひよこぶたのブログ

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父親が亡くなって早いもので1年が過ぎた

最近の私といえば最小限の家事と仕事と睡眠以外はただひたすら
曼陀羅の塗り絵をしている。
休みの今日も気がついたら起きてすぐ始めて気がついたら日がくれてたんだけど
無心に塗りながら父親のことを考えていた。

父親は認めない人だった。
姉も私も漫画や絵が好きだったから小さいころから
漫画みたいな絵を描いてたのをある日父に咎められ
私はいつかはハッキリ憶えてないけど小学校低学年だったと思う
2歳上の姉と座らされ
父が浸けてた梅酒を誓いの杯として もう漫画を描かない事を誓わされた(笑)
今考えたら本当に笑っちゃうんだけど 昭和40年代高度成長期
生産性のないことにうつつを抜かすくらいなら勉強しいという思いがあったのだろう。

中学生になったら私はいろんな人と文通にはまり
小さい沖縄にいながら日本本土に留まらず海外の人とも文通してたんだけど
今考えたら心配もあったんだろうけど郵便箱に色んな場所から届く手紙に
父親がいきなりキレて「受験生だろ?こんなことしてる場合じゃないだろ?」
私 ポカーン。
日頃口もきかないのに 正直なにいってんの?くらいにしか思わなかった。

今はネットも発達してて親子だろうがプライバシーは確保されるが
昭和の十代はそんなのなかったよ。

そんな父親ながらなぜか自分の友人やその子供の事は別らしく

父とずっと交遊のある昔の部下だったYさんの墨絵?かなんかを姉の新築祝いに
額にいれてプレゼントし困惑させたり
その息子さんは自閉症でもちろん私達も知ってる子だけど大人になったら
陶芸かなんな忘れちゃったけど 父はあの子は芸術家なんだって評価してた。

月日がたちその子のこと聞いたら言葉を濁した。

私達が生きてきた時代は本当にだから苦しいんだとおもう。

お金にならない 意味がない 価値がない

私はこれからはきっと違う世界になるって思ってる

だから そんな世界になったら その時またお父さんと会いたい。

お父さんが本当にしたかったことはなんなのか。
家族のため必死に働かなくては行けない そんな呪縛がなければ
お父さんはなにがしたかったのかな

そんな事を考える。