一カ月以上 ブログから遠ざかってしまいました。
10月27日に日本からアメリカへ戻り
数日後の10月31日 父は69歳の若さで永眠しました。
実は 前回の一時帰国は 父の入院先の病院から体調が悪化したので 早目に会いに来た方が良いということで急遽 予定を変更し帰国したのです。
父は このブログより孫たちの事、テキサスでの生活の事をチェックするのを楽しみにしてくれていたので 父の病気の事は書けませんでした。
私と息子は 父に早く会いたいという一心で日本へ。
病院へ到着すると 父は大部屋から個室に移動していました。
私自身、看護師ですから 個室に移動した意味も直ぐに分かりました。主治医からも病状の説明や検査結果を見せてもらい 深刻な状態であることは理解できました。
帰国した当日の夜から 付き添いとして病室で寝泊まりをしました。私が夜の担当、昼間は母と息子が一緒に父の側にいました。ほぼ24時間完全付き添いで。
病状が悪化していく中 せっかく来日した娘や孫の為にも頑張って退院して家に帰ろうと 食欲が無いのに頑張ってご飯を食べてみたり、身体を動かしてみたりと そんな父の姿を見ているのが哀れでした。
せめて最後は在宅で過ごせる様にと 介護支援の申請もし、家の中も整理を始めて 介護の出来る体制を整えようとしたものの 父の介護をする母も歳で力もそれほど強くないので どうしたら良いだろうと考えてばかりいました。私が介護休暇をとれば良いのかな、とか。
手続きを始めたものの、一時帰国も あっという間に時間切れ。今後 いつまた状態が急変するか分からなかったので 日本を離れる時に覚悟をしてきたつもりでした。なのに数日後 母より悲報の連絡を受けた時、残念で悔しくて 涙が止まりませんでした。
私にとって 父は最愛の人でした。それ以上の言葉は見つかりません。
翌週にお通夜とお葬式の為 再度日本へ戻りましたが こんなに辛い飛行機の移動は初めてでした。
日本滞在は4日間だけだったので 慌ただしく過ごして 時差ボケも治らないまま戻ってきました。
無我夢中で溜まった仕事をこなし 忙しくしていれば気が紛れるのかな、と思っていましたが 一カ月以上経った現在でも 父の事を思い出し涙が溢れてしまいます。こんなに涙が出るんだ、って感心するほど。
もっと一緒に過ごしたかった、と後悔の心があるからなんでしょうね。
父が息を引き取る前の晩は 母が付き添いをしていたのですが 父が母に “幸せだったよ”と伝えてくれたそうです。
そんな父を私は誇りに思っています。
お父さん、いつもの笑顔で天国か見守っていて下さいね。
悲しいブログになってしまい申し訳ありませんでした。