横穴式脱線廟

横穴式脱線廟

昔から疑問に思ってはいるものの、主には難しすぎて放置している事、歳を取って答の変質してしまった事などをメモしておく個人的にすぎるブログです。多分。

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もっと単純に考えたら?
とか
肩の力抜いて、ね?
とかよく言われるんですが、そんなに力んで見えますか、そんなつもりはないんですが、って会話になってないよなあ、でもすげえよくある会話だなあと思うナモですはじめまして。

このブログでは、ボクが疑問に思ってはいるものの難しすぎて放置している事、歳を取って答の変質してしまった事などを記録していきます。

家族との会話の中で「普通なんてあやふやな言葉は使いたくないと思っていたが、それがベストな表現であるケースが大変多いので使う事にした」という話がありました。
気楽に使うのに重さを感じない言葉なんてない、と思っていますが、「使う事で軽くなる言葉もある」とも思います。言葉の意味が軽くなるというよりは、言葉を使う方の気が軽くなるという意味で。

言葉の前提条件が人によって違うのは
当たり前ですが、その差異があまりに大きいと話すのが難しくなります。
細かく細かく丁寧に説明する人は自然と言葉が増えますがこれは、前提を揃えたい気持ちからだろうし、伝えたい事柄に対する真剣さでもあろうと思います。
が、それゆえに本題に入る前に相手が聞き疲れてしまったり、揃えようとした前提の一部に引っ掛かって話が進まなくなったりする事もあり、単に「あの人の話は長い」になってしまったりも。

そこで「普通」を使うと、長かった前提条件整地がさっくり終わり、より早く本題に行けたりするわけですが、大なり小なりの誤解を孕みやすくなります。
話す人の強さは誤解を恐れない事にあるのだろうと思っていますが、全ての聞き手が好意的に解釈してくれるはずもなく、考えに考えすぎて言葉がでなくなる人もいて、それはとてもきついし、切ないものです。
情報伝達ツールとしての言語が万能でない事は多くの人が実感している事ですが、それでも他に手段がない場合使
わざるを得ないわけで、それはとてもしんどかったりします。

特に恋愛など、強く大きく純粋な気持ちを伝えたい時、外したくない、外した受け取りかたされたくない、と思えば思う程、辛くなっていきます。

発言は権利と言われます。でも権利なんてあってもなくても発言はされちゃいます。余計な摩擦も起きます。
使い方を間違った言葉は人にも自分にも牙をむくから、伝えたい事なんて持たない方がいい、というのもなんだか違う気がします。

で。

あああああああああああああああ
となるボクなのです。