こんにちは
大谷洋子です
今日も暑くて暑くて溶けそう
受験生との夏が始まっております。
お弁当作りにも夏休みはありませんね。
母が出来ることはそんなには多くありません
先日、仲間と勉強会をしていたところ「ノート」の話になったのですが、私のノートの話をふとしたところ。
みんなの驚き様に私が驚いた
まあまあ個性的な人達の集まりの中で、驚かれるとしたら私も変わってるなと再確認笑
私の大切なノート。
一見何の変哲もないシンプルな装丁ですけど実はあるものが練り込まれています。
ノートって買おうとしたら百円で買えるけどそれに比べたら何倍どころの話じゃないノートです。
昔モレスキンのノートを買うのにお店で相当悩んだ思い出があるけどそれも私の成長の証です。
理解を求めてはいないけれど、私は常にクライアントさんには書くことの課題を出すことが多く。
それは私が書くことによって自分を変えて来たこともあるのですが、結局はノートに書き出す自分の思いは「尊い」ものなんです。
常に同じ状態でもなくて貴重で、儚くて、とてもスペシャルなものです。
そんな大切なものを書き上げるのに百円のノートでは私は私を大切にしていない。
ってこれはどこで教わったわけでもなく自分の体感です。
私は私の思いを大切にしています
私は私の思いを大切にしています
私は私の思いを大切にしています
心からそう思っているか?
自分を大切にするとはそう言うことじゃない??
でね、こう言ったことは簡単には伝わっていかないものです。
信頼関係あってこそ伝わっていくもの。
だから誰から学ぶのががセンスであり。
何を学びたいのかを自分の中で確立させればさせるほど得るものが多い。
学ぶと言ったら、資格の勉強のように情報をただインプットしていくと思うかもしれないけど。
情報は本当はどちらでも良くて、情報の間から感じ取られる先生の在り方。
それが私の学びたいことであって、私も提供しているクライアントさんに自分のものにして行って欲しいところです。
だから課題が出た時に、これをやって一体何になるのかとか、やっても変わらないと思うとか。
答えを先に知りたい思考になっている時は
決して得たいものは得られないですよ。
気持ちはわかります。
自分を信じられてないとそのように思うのです。
そして自分を信じられてないときに先生を疑います
これを繰り返していればあなたは一生変われないです。
そこを変えていきたいからこそ、学びの場で実践が必要なんですねーー
これがわかったらほんと楽ちんなのになあと思います