おはようございます。

大谷洋子です。

 

 

昨日は毎月通わせていただいてる小豆島のお客様宅でのレッスンでした。

なかなかね、頑張ってはいるけど元に戻ったり、酷くなったように感じたり上手く行ってないように感じるのは皆さんありますね。

 

 

でも、初回に伺った写真と最新の写真を比べると歴然と違いまして、それを見せて「どや」ってするのが好きです笑

 

 

目の前の現状につい目を向けますけど、教える方は未来をイメージして進めてますから安心して取り組んで行きましょうね♪

 

 

 

こちらのお客様もそうなんですけど教えていて楽しくて仕方ないです。

教えながらも教えられることも多々あります。

 

老若男女問わず教えていて、教えられていてとても幸せな気持ちになることが増えました。

 

 

これは恋なのか愛なのか友情なのか、エゴなのか自分でも訳が分からなくなっていたのですがふっと降りてきたのは慈愛ではないかということ。

 

 

うん慈愛がしっくりくるよ。

 

 

そんな最近頭がお花畑なんですけど、facebook投稿で見かけた投稿に、なるほどーと思ったのでシェアしますね。

 

 

教えると、教えた人を好きになる愛情ホルモンが沢山分泌されます。

教えれば教えるほど教えた人に優しくしたくなるものです。

教わる人のリスペクトが大きいほど教える側も愛情ホルモンで一杯。

嫌われる心配はありませんが、優しくされ過ぎる心配もしましょうね笑

 

 

と書かれていて今の自分にヒットしすぎてこれを引き寄せたと思います。

 

 

今まで何度も経験がある(やったこともやられたこともね)のは、教えたいと一生懸命になっても教わる側に「怖れ」があると信頼関係が成立しないのです。

そういう場合は、最後まで終わらず途中でフェイドアウトしてしまう。

 

 

してしまった時は私の中は恐れで一杯でしたね。

自分に対して恐れがあると、教えてくれる人に対しての不信感を持つのです。

 

 

だから上の投稿でもあるように教わる側にリスペクトがあるかどうかでそのサービス自体の価値も全く変わってしまうという事です。

 

 

一番奥の山が寝ている仏様に見える

 

とても大事なこともとりこぼしてしまうし、自分流から抜け出せずぐるぐるしちゃうんですよね。

 

 

投稿を見て「やっぱりそうなんだ」と確認も出来たし、じゃあ自分はどの立ち位置でいたいのかは自分で決めていくしかないよね。

 

 

私は当分脳内お花畑で生きそうです笑

 

 

 

宝生院のシンパク