2年間、意識のないまま横たわっていたその姿は、時に切なく、時に祈るような思いで見守ってきました。
けれど、最後に肉体を手放した瞬間、不思議と悲しみだけではなく、やわらかな実感が私の中に広がりました。
──身体は消えても、魂は生きている。
その確かさが、胸の奥から湧き上がってきたのです。
肉体は、魂の器にすぎません。器が壊れても、魂は風のように自由になり、私たちのそばに漂い続けます。
思い出の中で笑う姿、声の響き、そしてぬくもり。どれも目には見えないけれど、確かに生きている。
だからこそ、別れは寂しくても「失った」のではなく、「かたちを変えて共にある」のだと思えます。
今、私はおばの存在を、空気の中にも、心の中にも感じています。
そしてその魂は、これからも私たちを静かに見守り続けてくれるのでしょう。
