よっけ - yokkeOcarina

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ここはよっけの隠れ家であり秘密基地です。
日々の楽器練習や録音・撮影において苦労した話や工夫話、
音楽の考え方や哲学などをアメンバー限定にて公開します。

✨✨【イベント告知】✨✨
2025 さんろく祭り エルヨコガーデン会場
 

告知が少し遅れてしまいましたが、今年のさんろく祭りエルヨコガーデンステージにて演奏させていただきます。

 



8月1日(金)の ヒロオ2世 さんのステージでカホンを叩かせていただきます🙇
とても盛り上がる曲を沢山ご用意しておりますのでノリに来てください♪ヽ(゚∀゚)ノ


皆さん、こんにちは!
昨日は岩本珈琲での演奏とても楽しかったです♪✨

 

 

 

写真、お客様に撮っていただきました♪
ありがとうございます!ヽ(゚∀゚)ノ✨

 

今日は仕事だったので1日遅れの投稿になってしまいました💦

まずはこんな僕に岩本珈琲という素敵な場所での演奏にお声がけしてださったRav vast奏者のSAYOさんに感謝を申し上げます🙇


初めてお声がけしていただいたのは今年の1月~2月あたりだったかと思います。

何気ない会話の中で「フルートも吹いていていつか人前で演奏してみたいんですよねぇ~」という僕の発言から始まり、楽譜をいただいて練習を始めて半年。

独学ゆえ基本が叩き込まれていない僕の実力不足で最初はかなりご迷惑をおかけしたりもし、僕自身もSAYOさんの音楽の世界観を壊さぬ奏法を試行錯誤したりもして、かなり勉強になる事が沢山あった半年でした。

動画ではフルート演奏を公開した事はありますが、撮り直しが許される動画とは違い、一発勝負となる公の場でフルート演奏を披露するのは社会人になって初めての体験だったので、非常に緊張しました。

しかし緊張も含めて楽しめたと思います♪🤗


少し昔話をさせてください。
実は僕、フルートにおける心残りが中学生の時からありました。


8歳からドラムを始め、中学1年生の時に中学2~3年生の複数人とバンドを組んで活動していた時のこと、12歳でフルートに出会って始めたのですが。

それを見ていたバンドリーダーに「次のライブでフルートを吹け」と言われ、まだそれほど吹けるようになってもおらず、人前でのミスが恐怖だった僕は「嫌だ!」と言ってリーダーと喧嘩になってしまった時がありました。

確かに今思い返してみても当時の僕には吹けるものではありませんでしたが、挑戦というものをしなかった事をずっと高校生の時も社会人になってからもあの頃の"逃げた自分"に心がつっかえて自分を責め続けてきました。

そして大人になって再び「フルートを吹いてほしい」とのお声がけをいただき、最初は

「あの頃よりは吹けるようになっているはず」

という怠慢がありましたが、いざ練習を始めると自分の下手さを思い知ることとなりました。

ざっくりと言うならば、一度恐怖から逃げた事のある人間というのは同じ場面に立った時、なかなか克服するのが難しいという現実を体験しました。

YouTube動画などで撮り直しが許される安心しきった空間でリラックスして吹くのと、自分以外の人間が目の前にいる時の緊張感というのはまるで違うものがあります。


「小心者の僕」という姿をフルートが鮮明に映してくれたわけです。
そしてそのきっかけを下さったのが今回、ご一緒に演奏させていただいたRav vast奏者 SAYOさんでした。

この半年間、SAYOさんから学んだことは計り知れません。
音楽との向き合い方にも多くの勉強がありました。

そして昨日本番、自分の演奏に100点をつける事はできませんが、お客さん方には楽しんでいただけたようで、終演後も「良かった!」とお声がけをいただけた事に感謝と嬉しさでいっぱいになりました。

SAYOさんには「自分に厳しすぎるよ」と言われましたが、自分を許せない僕のことを許してくれるSAYOさんがいたからこそ最後まで頑張れたものだと思います。

(ちなみに帰宅後にも自分の母にも「自分に厳しくしすぎなんだよ」とSAYOさんと全く同じ事を言われました…w)

演奏者視点ばっかりの内容で申し訳ございませんw


それだけ、SAYOさんとの共演が僕にとって深くかけがえのない体験となった事を誇りに思いながら、今後も音楽と(楽器とも)向き合って活動していけたらなと思います。


岩本珈琲のマスター、岩本さん。
音響を担当して下さった、山本さん。
この素敵な機会にお誘い下さったSAYOさん。

こんなにも素敵な体験をさせていただいてありがとうございました🙇
僕にとって今回のステージは「与えていただいた体験」だったように思います。


また何かの楽器の奏者としてお世話になれる日がきたら大変光栄に思います。
そうなれるよう、人間的な面でも演奏技術の面でも成長できるよう精進いたします。


そしてご来場いただいたお客さんの皆様にも、温かく見守っていただいて盛り上げていただき誠にありがとうございました!✨

またお会いできる日を心から楽しみにさせていただきます。
引き続き今後もライブ活動などのご報告をさせていただきますので、宜しくお願いいたします🙇

「8時10分前」の解釈問題について。

僕は7時50分と解釈する社会で育ってきたのでわかるけど、若者のそれがわからない気持ちも理解できる。

一定以上の世代は「当たり前だろ」「日本語通じないのか」というけれど。
当たり前の環境で生きてきた人には当たり前かもしれないが、当たり前じゃない時代に育っている人にはそっちが当たり前だったりする。

そうなった時、

「今までがそうだったのだから俺らは変える気無いのでお前らが変われ

っていう態度でいるんじゃなくて、

「そっかぁ〜、今の子には伝わらないのかぁ〜。んじゃ次から7時50分頃集合ね!って言うようにしよう」

っていう考え方もアリだと思うんですよね。

そっちの方が世代の違いによる解釈の分裂も起きないし、直接的な表現になるので間違い無くて手っ取り早いと思いますし。


それでは「8時10分前」の解釈問題の"内訳"は何なのかというと、以下の理由で対立が起きてしまっている。

①「8時(の)10分前に集合だよ!」
②「8時10分(の)前に集合だよ!」


「の」の位置が違うだけで解釈が変わってしまう。

日本の生きづらい社会の中には「察しろよ?」「空気読めよ?」という文化も原因の一つとしてあると思っている僕なのですが、この「の」の位置も"察しないと"、①派の人に叩かれるわけです。

昭和から平成にかけて社会を生きてきた人とは今を生きる世代の社会観はだいぶ変わってきていて、昔に比べて「察しろよ?」「空気読めよ?」感の無い感性の人が増えてきたように思っています。

昔は他人(もしくは目上)の思う事を大事にする事が美しかったが、
今はどちらかというと自分の思う事を思うままに行動することを美しく思う人が増えたんじゃないかなーと思います。

①派の言いたい気持ちもわかるし、
②と感じる人の気持ちもわかる。


言葉の伝え方も大事だし、言葉の解釈の仕方も大事な問題だなーと思います。

自分の常識が他人の常識じゃないことを前提に、伝えるって行為をもっと工夫できる社会になっていけば、きっと生きやすくなる気がする。