「いのちの電話」2回目のセミナーのテーマは

「聴く」がテーマでした。


確か同じ内容を、一度目に相談員になろうと

軽い気持ちで受けた当時に聴いていました。


話し手のことをありのままに受けとめる って

傾聴 って私は多分苦手で

自覚しているのは会話泥棒気味で

話を自分の事に持っていってしまう事がとっても多いです。


悩みを打ち明けてくれる人に

解決はできなくてよいし、

アドバイスとかしようものなら

それは受け手の相談される側が

気持ち良くなるだけで

話し手は解決してほしいというより、聴いてほしい

ありのままを受け止めてほしい


という内容でした


死にたいほど辛くて電話をかけてきて

どれほど、その話し手の辛さがわかるでしょう

わからない方が自然ですよね

別の人間だから


息子の辛さだって 結局 わからない

正直永遠にわからない だろうな

だって 私と息子は別の人間だから


聴くという事は

相手の命を尊重して、想いを受けとめる事かな

死にたい は 生きたいの裏返し?

生きたいから 辛い、

死にたいほど辛い、、


命の本も 図書館で引き続き借りてきています

やっとこの頃

本の中身が頭に入るようになってきました

というか 心を整えたくなってきたのかな


息子がいなくなったこの哀しみは

息子はどこにいってしまったのか


私が生きている限り永遠に逢えない

この辛さは どうしようもない


哲学 宗教 読まなかった分野も

気になるということは 

哀しみに寄り添うジャンルなのかもしれない


ところで、実家の母は

転んだものの痛みは引いてきたようで

でも トイレとかは兄に支えられて、家の手すりを使ってなんとか行けている状態で


食べ物は私も楽天であれこれ送って

兄もちょっとずつ買い物もしているようで

「ありがとう、あんたも辛いのにね」と母も

電話の終わりに必ずお礼を言ってくるようになり

親子でもありがとうを言う事が増えてきました。


息子を失ってから 

私も 夫も 娘も 母も 兄も

前より「ありがとう」を

きちんと言うようになった 


これは 偶然じゃなくて息子の力かな

言える時に 愛を感謝を惜しみなく伝えなきゃ

言葉が伝えられるうちに