昔 このブログにも 

アメンバーで一度書いたのですが


一度削除した事であり 

多分このブログにお越しくださる方も変わって

また、私自身も当時とは違う状況なので

思う事も変わった上で

改めて 

書いていこうと思います


私の母は8人兄弟の7番目

母の妹である叔母には二人の子供がいました

一人は私よりも3つ年上の従兄弟

もう一人は私よりも一つ年下の従姉妹


他のいとこ達は10も20も歳が離れた従兄弟達なので、すでに遊ぶ間柄ではなく

小さい頃は祖母の家で私の兄と4人で

夏休みもよく一緒に遊び、

上京した時はディズニーランドや隅田川花火大会も一緒に行きました。


叔母は私の母が、

私が18歳の受験の11月に乳癌にかかったため

上京当時も母親代わりになってくれて

下宿の立ち会い、入学式も来てくれて

就職も叔父の紹介と親切にしてくれました。


従姉妹とはお互い結婚相手もいて、

子どもが出来たら一緒に遊べるねと

叔母も楽しみにしてくれていました。


私は先に結婚し、息子を授かり、

里帰り出産の為実家に帰っていた時

従姉妹が外国旅行の途中、

現地の人間に襲われて

命を落としました。

飛行機をチャーターして遺体を引き取りに出向き

当時テレビにも名前が出て、

叔父は職場に居場所が無くなり

社宅を引き払い、関連会社の横浜のマンションに移りました。


叔母は 娘を溺愛していたために

精神的な病に罹り、

自殺未遂も一度、その時は発見が早く助かりました

それからの母達兄弟達の必死の慰めも叶わず

私の娘が産まれた翌月に

自らの命を断ちました。


残された従兄弟は、

教員免許を取得していましたが

当時は氷河期のため何度も教員試験を受けては落ち

先の見通しが見えない中、

自分の妹を失ったばかりでなく

自分の母親を助けられなかった

そして、母は自分を置いて

逝ってしまった


私はその時

2人の子ども達を育てるのに精一杯であり


また、叔父に会いにいくと

歳が近かった娘を思い起こさせるのではないか

娘代わりとはあくまで口先だけ

夫と、2人の子どもを授かり

幸せの最中の姪の私


どんな思いをされるか怖くて仕方なく

恩知らずと他の親戚に非難も受けながら

叔父とはそのまま、

私の父の葬儀で会った時が最後

葉書でのやりとりのままでした。

そして、時が経ち

一昨年叔父が亡くなりました。


親戚も高齢の為上京出来ないために

私は一人残された従兄弟と

叔父の葬儀に立ち会い、骨を拾いました。


30年以上前に会ったきりの従兄弟と

従姉妹の話、叔母の話、叔父の話を沢山しました。


残された従兄弟は、結婚もしていません


私の母は

叔母がなぜ自分の息子を置いて

逝ってしまったのか、

夫婦で助け合って、生きていけなかったか

自分の妹の生き方に対して、

自分ならそうは生きない、と語っていましたし

私も自分なりに色々当時は

自分の子どもが健康に育っていた時は

従姉妹や叔母の生き方がわからないと思いました。


寄り添うことは難しいし

その立場になってみないと 

我が子を亡くした同士でないと本当にわからない


一人残されてずっと生きてきた従兄弟と会って、

30年以上経ってなお、

従兄弟が自分の母が命を経った場所を

哀しそうに見つめる姿を見ました。

当時の事は、

私なんかに言っても仕方ないというように


私も、もし息子しかいなかったら

後を追いたい

生きていても仕方ない 

息子の哀しみに流されていたでしょう


でも 残された子は


自分の母親は亡くなった兄弟の方を愛していたのか

自分のことはどうでも良かったのか

自分を置いていく事に、

その後の残された子の人生を

考えなかったのか


叔母と従姉妹が亡くなって30年近く経ちます

それでも従兄弟はこれから生きていきます。


息子 

わかってるよね

私の叔母と従姉妹の話は伝えていたよね


私もまだまだ、まだまだ 生きていくから

あなたの父親と妹と一緒に