オヨっとサマスポ!
二代目喝御大が、プリキュアにおいて突如発生した「男社会」について論ずる。
こちらが、その主、フェンネル氏ことゴーダッツ提督(以下「提督」)
~なぜ提督なのかは、まあその、ドイツ海軍の人っぽい名前ってことで。
まその、なんだ、デリシャストーンとか何とかを誰が受け継ぐかってとこから派生して、
彼の師匠の猫おじさん、確かジンジャーさんとおっしゃるが、
その方の弟弟子2名、そのうちの一人の息子、まあ、わしの後輩でもあるが、その4名の闘いや。
提督に対し、その弟弟子2名とその息子の3名で、1対3の敵味方関係(対立軸)。
そこに、プリキュア少女・キュアプレシャスのゆい君が入り込んできたという構図ね。
しかし、彼女は勇気あるねぇ。
正直、わしとしては、彼女の今回の弁には賛成できない。
ぶっちゃけ、一昔前なら、「女子どもの出る幕じゃねえ!」ってところなのよ。
そこに彼女は、堂々と入ってきた。
この後、どういう言動をゆい君がしていくのかは、非常に興味深いね。
何とかモーニングの方にもメガネおねえさまはおられるが、こちらにもいるぞ。
セクレトルーさんだぜ!ヤッホー!
提督は、彼に尽くしてきたメガネおねえさまを土壇場で「排除」した。
これをね、「裏切り」「見捨てた」と解釈するのはたやすい。
最初は私もそう思っておったが、どうも、そうではないなという心証を得た。
その理由が、先程述べたわしの「女子どもの出る幕じゃねえ!」という言葉(テキスト)に集約されるのです。
かくなれば、それからあとの提督の戦争目的を達成するにあたっては、
もはや、その言葉通りの展開を強いられるわけであり、そうなれば、
メガネおねえさまは、「足手まとい」ということになる。
ある意味、彼女を傷つけるわけにはいかんってことになるのや。
そこで、二代目喝御大の私は、あることを思い出したのね。
戦艦大和がいわゆる「沖縄特攻」に出るにあたり、乗船していた士官候補生を退艦させた事実。
当時の艦長は、有賀幸作(「あるが」と読むと、昨日初めて知った~汗~。ただ、御本人は「アリガ」だと称しておられた模様)海軍大佐(だいさ、だぜ。なお、戦死後中将に昇進)。
乗船して日のない、しかし将来のある彼らをこの絶望的な戦闘に巻き込むわけにはいかない。
そういう思いからの判断であったと言われておる。
このほかにも、病人や年配の補充兵各位も退艦させられています。
この映画でも、有賀提督の大和艦長としての奮闘ぶりが描かれております。
有賀提督(あえてそう申し上げます)の判断を知ったのは、小学生の頃、山岡荘八氏の本を読んでの話。
それをふと、思い出したのよ、ゴーダッツ提督のおかげで。
早速、わしは有賀提督に関わる本を岡山県立図書館で借りて読んで確認した。
そちらにも、当該事実についての記載がありました。
山岡氏の小説には嘘が多いという話をどなたか書かれていた(記憶違いでなければ、金ぴか先生こと故佐藤忠志氏の書籍)を覚えているが、この県に関する限り、誇張でも虚偽の事実でもないことが確認できました。
こちらが、有賀幸作提督の人となりを知れる書です。
さてさて、本業?のプリキュア御意見番に戻ろう。
品田拓海少年と、あまねんこと菓彩あまね君。どちらも中3。
今回、あまね君はこの男同士の戦闘(!)に入らず、同じく提督の下で働いていたこともあるセクレトルーさんを看病している。
たくみ少年は、そりゃ、父親が提督とガチ勝負になっておるから、父親側で参戦や。
なんかね、ゆい君は別として、今回の少女&女性陣は、完全に、この戦いの「銃後」に置かれてしまっておるわな。
あ、あまねんとたくみ君は、15歳になったばっかやな(苦笑)。
で、また少し話を変えさせていただこう。
南海ホークスの大エース・杉浦忠氏の会葬時に配布されたという冊子です。
スポーツ新聞の情報を得て、アド南海様よりいただいたものです。
この方は、奥さんが球場(=男の仕事場)に来られるのを非常に嫌っておりました。
ある時など、こっそり見に来ていた奥さんをどこでかみつけ、関係者を通して、
「今すぐ帰れ」とメモを渡されたとか。
・・・ ・・・ ・・・・・・・
それにしてもね、今どきの女児向けアニメで、男社会の論理で動く場面を堂々と描くのは、大したものだわ。
だけどね、いくら今どき性別性差云々を論評しようとも、このような「社会」は、今後も必ず残る。
そして、今プリキュアを観ている女の子たちも、どこかで、その世界に触れざるを得ないときが来る。
仮に、この世が完全に「男社会」と「女社会」の二つに分かれるとしよう。
片方だけで生きていける人も、あるいは生きていかざるを得ない人も、いる。
私なんかまさに、前者だけで生きてきたようなものよ。
だけど、そんな形になる人というのは、存外、わずか。
仮にそうだとしても、対立軸にある社会のことを知っておかねばならんことは、言うまでもなかろう。
イメージ画像。旧型客車最後の夏。
それから、この二つを「大人社会」としてくくるなら、その対立軸には、「子ども社会」というのがあり得る。
私は、その「子ども社会」とやらでは、生きられんかったな。
そりゃあ、子どもの頃は確実にあったよ。
だけどね、こと私に関する限り、今もって生きているのは、「大人社会」に通じる部分のみ。
当時の大人が用意しようとした社会は全部、私自身は、排除した。
そうしないと、生きていけないことがわかっていたからな。
もちろん、仲のいい同世代の人はいた。
この前からしばし引合いに出させていただいているが、小学校で同じクラスだった、黒崎博君という人物。
彼は後に映画監督になっておる。で、わしが小説家や。
同じクラスの男子約20人のうちに2人もその手合いが揃うとは、なんかすごいな、その小学校(苦笑)。
でもね、彼との思い出を引きずり出してみるほどに、あれはやはり、大人社会に通じる子ども社会だったなと、そんなことを思えてならん。
そりゃあ、彼のその後と私のその後の経歴を見れば、明白。
純粋な子ども社会の住人とは、彼も私も、言えないところがあった気がする。
いい悪いじゃない。そういうものやということで、ご理解を。
~ それは、黒崎博氏(や私~自分で言うのは難だが)が年齢の割にしっかりしていたからだというのも、ある。
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しかし、思うほどに、ゆい君は、大したものじゃ。
彼女はこれまで、母方の祖母・よねさんというおばあさんの思い出を大事に生きてきておる。
しかぁし、世の中、それだけで生きていけるわけじゃないし、そのお婆さんの論理は、誰にでも通用するものじゃない。
そのことを今、彼女は、学んでおるのだ。
それも、自分にとって大事な幼馴染で、ひょっとみらいの夫になるかもしれぬ、品田拓海君も絡んで、ね。
わしの娘(=隠し子)のみのりんこと一之瀬みのりである。
この少女も、同じような、いや、ある意味もっときつい世界で生きていかねばならんのよ。
でも、何とか生き抜いてくれると、親(?!)としては、信じておる。
~史上最強の推し活とは、このことを言うのである。押忍!
さて、これまで二代目喝御大の私が述べてきたことを追っていただければわかると思うが、私個人についても、正直、ゆい君のおばあさん、よねばあさん(私の本名と似ておるな~苦笑)の思考や言葉には、必ずしも共感できるわけでもないし、同調などする気もない。
その正反対の世界で生きてきた自負がありますからね。
ですから、今回は、ゴーダッツ提督の弁護人的な立場で、この後の3回をじっくり見ていく所存である。
何だかな、極東国際軍事裁判の清瀬一郎弁護人みたいな立ち位置になってきたぞ(苦笑)。
風貌も、なんか知らんが似ておるような("^ω^)・・・