↓高2から高3にかけて、おおむね、1975年から1977年あたりを岡山県津山市で過ごした人の自伝的小説です。
https://books.rakuten.co.jp/rb/16602469/
くれぐれも、上の方の謎の筆箱は、気にしないでね("^ω^)・・・
何と、映画化もされるそうな。
映画監督も、津山高校出身の人らしい。
それはいいのだが、この小説、中に写真がたくさん。
津山高校もこの小説に協力しているとのこと。
写真はというと、当時のもあれば、今のもあり。
表紙は、典型的な今の写真やんか。
よくよく読んでまいると、昭和50年代初頭、1970年代半ばの昭和期の地方都市の様子がありありと描かれている。
人の息遣いとか、世代間の差とか・・・。
私も仕事で津山にはよく参りますし、今の会社にご縁がある前から、どういうわけか津山にはご縁があってねぇ・・・
しかし、小説家の視点で見ると、確かにこれは、いわゆる「もしドラ」とよく似たつくりでは、あるのよね。
もしドラはドラさん(ドラッカー氏)の本への入門的な要素もはらませたもので、あれはある意味、組み合わせの妙による企画の大成功という側面がある。
あれでドラさんに興味を持った人も、そりゃおるやろし、それはそれで、ええ。
こちらはというと、津山という街を文章で描きつつも、写真などを多用して、津山の良いところだけでなく、今の問題点もじっくりと掘り下げている。旧態依然としたままの津山駅とか、ね。冒頭に出てくるけど。
この著者の方が高校生の頃、私が小学校に入るかどうかの頃のことだけどさ、まあ、私が養護施設に入れられたころの話でもあるのですけどね、その頃の社会の様子が、肌身でわかるってわけさ。
ちなみにこの気動車・キハ47は、著者の山本氏が津山におられたころは、まだ製造されていませんでした。
当時のことだから、キハ17とか、キハ20の頃ね。あと、急行はキハ58とか。
くれぐれも、左側じゃなくて、右側の方ね("^ω^)・・・。
左側はって?
気にしない気にしない(わっはっは)("^ω^)・・・
1996年秋の因美線高野駅の光景です。
こういう通票閉塞方式によるタブレットの通過授受、当時はまだ全国的に当たり前に見られました。
同時期の、美作河井駅本屋内。
ここで、タブレットの管理がされておりました。
この「日常」は、私が大学を出た頃には、もはや、普通ではなくなっていました。
当時の津山駅は、岡山方面だけでなく、姫新線大阪方面の急行も出ていました。
残念ながら、現在津山駅には、急行列車はもちろん、特急列車さえ出入りがありません。
ただし、日中には高速バスが30分おきに、大阪方面に向けて走っています。
こちらは、イメージ画像です。岡山エクスプレス津山号ね。
かれこれ書いて参りました。
最後は鉄道の話になっちゃった(汗汗)。
津山のことは、また、私なりにいろいろ発信してまいります。
では。