甲子園予選(地区大会)もいよいよ大詰め。
テレ玉をつけると、本庄第一vs.熊谷商業。
3-1で本庄第一が勝利し、決勝進出を決めました。
どんな試合を見ても胸がキュンとします。
そう、私は高校球児だったのです。
小中学時代は全国大会常連(常勝)チームに所属。
まさに 『血を吐くまで』 徹底的にしごかれました。
私のレギュラーポジションはサード。
毎試合最終回だけマウンドに上がっていました。
有名高校のスカウトが4・5校でしょうか。我が家と監督のうちに来てましたねぇ。
そんな私が選んだ学校の野球部は・・・。
超×3でも足らないほどの 『弱小』野球部。
ボールはたくさんある。
グランドは・・・、デカい
しかし、部員は2・3年生合わせて7人。
そりゃぁ、歓迎されるよね。
ふたを開ければ・・・、
お金持ちのボンボラボン&中途半端にお勉強一筋君だらけ。
そんななうちのチームも、私が1年生のときに、県大会で5回戦まで行きました。
『小さな巨人』 という、いかにもベタなニックネームが新聞上で踊っていました。
『小さな巨人、最終回に力尽きる』 これが私の最後の夏でした。
最後のシーンは延長12回、二死満塁。
球場内は40℃を超える猛暑が一転、激しい豪雨に。
これまたベタなシチュェーション。
最後のバッターは押し出しの四球でした。
これが私の高校生活、最初で最後の失点です。
なぜ?
二度とマウンドに戻ることはなかったんですね。
私の肘と肩は既に限界を超えていたんですよ。
リトル・シニアでもガンガン硬式投げてたしね。
ダメ押しは、経験のない5日間5試合5連投。
もち、弱小チームだからコールド勝ちなんてないっす。
すべて9回完投。
しんどかったとです。
しかも、打たせて取れない・・・。
授業中、鉛筆を持つ手が震え始めると 『コキン』 という音がして関節が動かなくなる。
素人でも肘に異変があることは分かった。
結局手術をするも失敗。
当時の球の切れが戻ることはありませんでした・・・。
自分に対して 『この肩肘でよくやったな』 という満足心。
でも、悔しい。
中学時代の仲間はプロや社会人で活躍している人もいる。
チームメイトに対して 『よくここまで頑張ってくれたね』 というねぎらいの気持ち。
でも、結果を出せない集団に対して 『練習やったか?泣くな』 という怒り。
他のチームだったら甲子園行けたのに、という自惚れ。
でも、客観的に見て、当時の私なら本当にいけかもしれない。
最後のマウンドで、3年生が笑顔で 『ドンマイ』
その場で襲いかかってやりたい、と本気で思った。
今は大人になり、はやる激情を抑えることはほぼ日常になった。
でも、今なお当時の複雑な思いは褪せることなく心の深い奥底にくすぶっている。
そんな過去の栄光&挫折を持つ私です。
高校野球に馳せる想いは必然的に人と異なります。
どんな試合を見ても普通に涙が出てくるのです。
試合終了の時だけではないんです。
吹奏楽部の応援を聞くだけで。
『ピッチャー第一球投げた』というアナウンサーの声だけで。
もっと言うと、画面にアップされたピッチャーの顔の汗を見るだけで。
その人が持つ人生の背景(バックボーン)はすべての物事の見方に影響を与えるんですね。