終戦の玉音放送が無ければ、我が家は全滅だった筈 | よかもん人生のブログ

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▼7月のあなたはブロンズランクでした

 

8月14日、米軍機が大量のビラを撒き、明日15日、甘木町に焼夷弾投下の予告。

 

14日、一旦郊外へ逃げたが、受け入れ先はすでに人でごった返し、

 

町、中央部の自宅の防空壕で最後の夜を迎えると父が決定。

 

小さな手彫りの防空後の中で家族11人~~貧しい最後の晩餐を迎えた。

 

父が我が家の歌だと教えてくれた歌が有る。

 

1、昔の我が宿、変わらぬ父母、夢のほかに、今日ぞ会える・・・・・・・。

 

2,雲間に覗めた昔の我が宿、夢のほかに、今日ぞ会える・・・・・・・。

 

3,日暮し秋呼ぶ昔の我が宿、月も星も、我と遊ぶ・・・・・・・。

 

4,富貴を望まず名誉を願わず、神の恵みの永く遠く・・・・・・・。

 

15日朝m部屋で玉音放送を聞いていた父が叫んだ・・・戦争は終わった。

 

それから町中に人が溢れかえり、歓喜の声に包まれた由・・・・・・・。

 

夜は提灯行列だったようだが、我が家では女子供は外出禁止・・・・・・。

 

朝鮮人が威張りだし、無銭飲食や飲み放題で険悪な雰囲気・・・・・・・。

 

料亭を筆頭に昔からのやくざ組織に朝鮮人の鎮圧を頼んだようで、その日の内に朝鮮人は大人しくなったとの事・・・・・・・。

 

戦後の混乱期は飢えとの闘い・・・子供でも食料獲得に必死だった。

 

バケツ一杯~~大量のアメリカザリガニを捕まえて来た時は歓喜された。

 

書くと限がない、大戦後の混乱期の話題の一旦です。