東京五輪男子マラソン~~大迫6位でフニッシュ…頑張った・・・ご苦労さん。 | よかもん人生のブログ

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真夏の厳しいマラソン、札幌と言え何人もの選手・30人が途中棄権。

 

大迫傑がメダルならずも日本最高位の6位入賞 

男子マラソンスポーツ報知

 

 

◆東京五輪 陸上 男子マラソン(8日、札幌大通公園発着)  東京五輪をラストレースと表明して挑んだ日本の大迫傑(ナイキ)はメダルならずも6位入賞を果たした。

 1992年バルセロナ五輪で森下広一以来の表彰台を逃したが日本最高位でゴールした。

  大迫はスタートから先頭集団でレースを進めた。

 だが35キロ付近では離され始めたが、その後猛追。日本最高位でゴールした。

 入賞は12年ロンドン大会の中本健太郎の6位以来。  スタート時の気温は26度、天候は曇り、この1週間の札幌では涼しい中で始まった。前回のリオ五輪金メダルで、世界記録(2時間1分39秒)保持者、非公認では1時間59分40秒を記録したキプチョゲが約28キロでペースアップ。

 さらに30・5キロでスパートした。キプチョゲは30キロから35キロを14分28秒へ大幅にペースアップ。レースが大きく動き始めた。今大会をラストレースと表明した大迫傑(ナイキ)はこの時点で8位につけていたが、35キロ過ぎに2選手を抜き順位を6位に上げた。

 MGCで優勝した中村匠吾(富士通)は約3・5キロで先頭集団から遅れ、MGC2位の服部勇馬(トヨタ自動車)は20キロを過ぎた後、先頭集団から遅れた。  大迫「6番手で粘り切ろうと思って走った。

 自分で対応できるかぎりで、やりました。しっかり次の世代につながるように、引き続きまっすぐ進んでいきたい」  ◆大迫 傑(おおさこ・すぐる)1991年5月23日、東京・町田市生まれ。

 30歳。

 長野・佐久長聖高から早大進学。15年に米国へ拠点を移し、プロに転向。16年リオ五輪5000メートルと1万メートル代表。

 18年10月のシカゴで2時間5分50秒の日本新記録(当時)を樹立。20年東京マラソンで再びの更新となる2時間5分29秒をマーク。

 自己記録の3000メートル7分40秒09と5000メートル13分8秒40も日本記録。

 家族は妻と2女。