桜の下で(戦後の)入学式、走馬灯のように蘇りました | よかもん人生のブログ

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長い人生の旅路を書き綴ったブログです

70数年前筆者が入学した小学校は福岡県でも有数のマンモス校だった朝倉市立甘木小学校

甘木市が朝倉市に成り…今に至る。

 

一学級に53名前後で6クラス✖6学年≒生徒数1800~1900名強

 

今ではとても考えられない過密な教室です。

 

筆者は成長が悪くクラスでも背丈は前から数番目。

 

視力が弱く、生れ付きの遠眼乱視で、体力検査が一番嫌だった

 

黒板の字が見えるようにと、常に1番前の席だった。

 

眼鏡を誂えたのは、高校1年生と成ってから・・・それまでは、

 

眼鏡の度が進むといけないからと、我慢させられていた。

 

爾来70年、ほとんど度は進まず、白内障も緑内障も発症しない。

 

高校3年の受験勉強の最中、伝染病に罹り、夏休みを挟み50日休学。

 

何とか卒業できたが、体に障ると悪いからと進学は断念。

 

幸か不幸か今に至るも再発無しで長生きしている…どころか❕❓。

 

他人以上に病気には強い躰に変身成長していた。

 

中学時代、自転車を利用した食糧確保が体力を作り、

 

中学3年間で、28㎝身長が伸び、168㎝と成り平均身長と成った。

 

6本のエキスパンダを買い込み、全て引けるように成った。

 

基礎体力は向上したが、心臓の機能も肺の機能も弱く、持続力に欠け、

 

運動には不向きの自分を自覚し今に至る。

 

矩を踰えずの生きざまで今を生きる。