74年目長崎原爆の日…夏の思い出 | よかもん人生のブログ

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長い人生の旅路を書き綴ったブログです

長崎原爆のあの日あの時、従兄弟家族は佐世保に住んでいたそうだ。

 

筆者と従兄弟は→父同士は親友で母同氏は姉妹だったが故か❕

 

お互いの子供同士も仲が良かった。

 

但し、甘木と佐世保と遠方の為、会えるのは年1~2回でした。

 

年越しの餅搗きで、母の実家に姉妹家族が集ったとき、

 

父は明日・・・コケコラス(方言)=個々に来るなど、言葉の違いに戸惑った。

 

戦後10年強、長じた筆者は一人で、夏休みに従兄弟に会いに行った。

 

この日だったかどうかは定かでないが、暑い長崎市内を歩き回った。

 

市内電車は動いていたが、浦上天主堂跡地は瓦礫状態で、

 

残された階段跡に黒く焼け焦げた人型が残っていた。

 

若さ故と持ち金が少なかった為に、広い長崎市内を歩きに歩いた。

 

長崎原爆の平和記念像は、まだ無かった気がする。

 

そして近年、従兄弟は脳梗塞となり、手足が不自由となり、

 

会いたくないとと電話で伝えてきた…さもありなん。

 

運命の蝋燭の火は何方が先に消えるかは、風任せだが❓❔

 

夏の青春時代の思い出の一つ、ブログ文として残す。