➡「それからの武蔵」には亡き父との思い出がある。
数十年も前の事、図書館から借りて来た「それからの武蔵」の本を
父が覗き込み、興味を示し続編も借りて来いと言ったが、
図書館には続編が無かった・・そのまま立ち消えとなったのだが、
最近、BSジャパンで放送中を録画して仏壇の父と観ている。
昭和38年、雪国住まいとなり爾来半世紀余、
若気の至りで、年賀状に「深雪待春独歩行」と年賀を書いた。
父から韻を踏んで居ないと叱責されたが漢詩のイロハも知らぬ身
恥入るばかりだったが、その心は宮本武蔵の影響が有ったのです。
「獨行道(二十一箇條)」を普通の表記に書き改めたものを次に示します。
(解釈を誤っているものがあるかもしれませんので、ご注意ください。
2011年2月24日)
| ||
|
一、世々の道を背く事なし。
一、身に樂しみを巧まず。 一、萬(よろづ)に依怙(えこ)の心なし。 一、身を淺く思ひ、世を深く思ふ。 一、一生の間、慾心思はず。 一、我が事に於て後悔をせず。 (「我、事に於て後悔をせず」か?) 一、善惡に他を妬む心なし。 一、いづれの道にも別れを悲しまず。 一、自他共に恨み託(かこ)つ心なし。 一、戀慕の道、思ひ寄る心なし。 一、物毎に數寄好む事なし。 (「物毎」は「物事」か? 「數寄」は「好き」か?) 一、私宅に於て望む心なし。 一、身ひとつに美食を好まず。 一、末々代物なる古き道具を所持せず。 (「末々代物」は「末代物」と同意か?) 一、わが身に至り、物忌みする事なし。 一、兵具は格別、餘の道具嗜(たしな)まず。 一、道に於ては死を厭はず思ふ。 一、老身に財寶所領、用ゆる心なし。 一、佛神は貴し、佛神を頼まず。 一、身を捨てても名利は捨てず。 一、常に兵法の道を離れず。 正保弐年 五月十二日 新免武藏 玄信〔花押〕 寺尾孫之丞殿 |
武蔵の心を浅読みした恥、雪国に住み、何か会得したかと問えば
半世紀経過しようとも武蔵の境地には到底及ばぬと知るばかりです。
仏壇の父は何も語らぬが、万事、甘んじて受け止めよと聞こえます。
世は全て事も無し。