漸く病室から、生のブログ文を書くことが出来ます。
この記事は、昨日(12月20日)書き溜めていたものを、アップしています。
【術後3日目~5日目の記憶】(12月16日~18日)・・・12月20日記。
12月16日も二日目の歩行訓練で朝昼2回練習した。
行きかう看護師さんや、ナースセンター内から賞賛の言葉が掛けられた
余暇門さんは傷の痛みに強いのですか?マニュアルでは歩く事が求められていても、
実際は痛くて歩けない人がほとんどです・・・内緒ですが男性の方が傷に弱いですね。
まして私達も見たことのないような、こんな大きな傷を抱えてよく歩けますね、吃驚しています。
目的地までの午前と午後の訓練歩行は昨日に比べて痛みは激烈だが、昨日に比べると以外に楽であった。
体の対応の早さに私自身、吃驚している。
回復が順調の為、明日は集中治療室から出ると宣告された。
酸素マスク、鼻からの管、心電図計、脈拍、脊髄の痛み止めなどが外されている。
しかし尿管、肛門からの管、腹空内の出血状況を知る為の管2本、などまだまだ厄介なものが残されている。
翌17日(月曜日)午後、一人部屋に移り、手すりに掴まりながら、手助け無しの歩行訓練が出来るまでに回復した。
肛門菅が外され、本日の昼食時から、3分粥が出始めた。
尿管、肛門管は厄介である。
特に尿管は起き上がったりして急激に尿意が強まると、尿が早く出ないため、先端に痛みが走る。
肛門菅は、大腸内の湿潤物の出方によって、取り外すといわれていたが、異物感が強くガスの出まで制限される。
感謝しながら全てをさらけ出す。
18日火曜日、3分粥・・・排便がまだない、ガスは出ても便意を催さない。
日中に、激しい尿意と共に少量の便が出て、下着を汚す。
トイレ内コールで知らせ、直ぐに、処理してもらい、この後パンツ型紙おむつの初体験となった。
紙おむつが、こんなに蒸れる物だとは知らなかった。
寝たきりの人の苦労が漸くわかった。
半日で紙おむつはダウン、普通のパンツに変更、私は蒸れの痒みに弱い事が証明された。
消灯9時前、待望の排便を見た・・・良かった。
続きは次回、お陰さまで回復は順調です。