親の愛は見返りを求めない無償の愛が本来の姿です。
家貧にして忠孝いず・・・など昔の例えとしか思えない世の中になりました。
終戦後の貧しい時代、父母は栄養失調の体を押して、子沢山の中、私ら子供を育ててくれました。
私の口から出る言葉は「お腹空いた何か食べたい」でした。
母の顔はそのたび、苦しそうに見え涙まで見せていました。
映画になった三丁目の夕日の世界を育ち盛りだった私ら子供は現実に体験していたのです。
私の知る限り友人たちの大多数がそうでした。
必死に生きる中で貧富の差は人間の品格と関係ない事を知りました。
同じ親から生まれた子供でも受け取り方は違います。
親から独立し、切り開いた環境でその後の感情も違ってきます。
日本人は歯を食いしばり貧しさに耐え豊かになり、豊かさと引き換えに本来の愛を置き忘れてきました。
有り余る物を与えられ過ぎた愛は、スキンシップを忘れ、貰えるのは当たり前として育ちます。
その結果が今の世の中です。
親も子供に対して物の見返りを求める親が増え、子供は何時までも親にぶら下がり生きようとする。
安易に生きようとする余り、子供は働く意欲も生きがいも無く、無為に過ごす時間だけが過ぎてゆく。
風紀は乱れ泥棒は大手を振って横行してきた。
政治家も、教師も、宗教家も、利権で見返りを求める者が横行している。
私事ながら父の生涯は私が物心ついて以降、'''赤貧洗うが如し'''の一生でした。 その間、無償の愛を父母からもらい続けました。 親の心子知らずで、故郷を足蹴にし、実力も無く大それた望みだけ引っさげて、人生の旅立ちをし、 今に至っています。 この年になり漸く理解できる親の無償の愛です。日本人の心を洗い直すには、遅すぎる感もあるが、先達は山ほどいます。
夫々がこれではいけないと思う小さな努力が、必ず浄化作用を生み出す事を、信じたいですね。