今もまだ雨が降り続いている。
雪国での冬の雨は、ホッとする一面で、雪崩や河川の増水が心配となる。
屋根雪は重くなり、その処理に更に重労働が増す。
私の親世代(妻の親)は、雪は晴れの一種と表現していた。
冬の三ヶ月、脇道通りは春まで車は通れないのが常識であった。
道の雪が家より高くなろうとも、平気の平左で何不自由もなかった。
自分の時間内でいっでも手近な道に雪が下ろせたからである。
食料や燃料は各家が秋の内に買いだめしてあり、医薬品は富山の薬売りの置き薬があった。
炬燵用の豆炭や煮炊き兼用の炭や練炭も一冬分買い込んであった。
野菜などは雪に埋めて天然の冷蔵庫となっていた。
雨が降ると折角踏み固めていた雪道が柔らかくなり、歩きづらくなる。
雪なら傘などいらないが、雨なら必要であり返って不便である。
今、車社会となり便利な反面、越冬物質と言う雪国の生活の知恵が忘れられた。
奥山の人までが冬のさなかに町まで買い出しや通勤に車がいる。
雪崩の危険を冒しても道を開ける事が絶対条件となっている。
こんな時の自衛隊は有り難いばかりで、非難する人は誰もいない。
頼もしい国の力である自衛隊は有事の際に力を出せるよう、もっと力をためて欲しい。
私の願いであり、皆さんの意見も聞きたいですね。