門司往還探索編ですが長い間 更新が

滞っていました。一応調査は門司大里

まで完了したのですが記事作成が今

地元の歴史講座をやっている関係で

そちらを優先していているまにすっか

り忘れていました。申し訳ありません。

さて今回は前回からの続きで赤坂の

高浜橋から田向山下まで進みます。

道幅は今までと同じで2間から3間と

いったところです。道は高浜橋から東

へ進みます。南側のJR鹿児島本線と

北側の199号線の間の道です。しば

らく進むと道の右側に道標の道祖神

の石碑があります。さらにもう少し進

むと行き止まりで、その先はJR貨物

ターミナルへの線路が複数あります。

昔の文献や古い写真などを見ると

往還道は国道3号線の赤坂トンネル

の下の方まで進み山裾を巻くように

赤坂トンネルの出口先まで進みます。

江戸時代から明治に鉄道線路が敷か

れるまで田向山の下まで海が迫り難

所でした。そこから再びJRの線路群を

横切り現在の松原町のJR線の北側に

出ます。当時この場所は難所だったの

で、当時はこの岩場の難所は避けて

赤坂トンネル門司側出口付近から田向

山の裏を回る道もよく使われたようです

。幕末期の第二次長州征伐でこの赤坂

から田向山の裏を小倉場へ向け長州軍

は進軍し途中赤坂坂で小倉軍と激戦に

なりました、明治の初期には小倉・門司

間は鉄道の敷設などで特に海岸線は埋

め立てなどで大きく地形が変わっていっ

たのですが当時の地図などを閲覧でき

たらと思います。ゼンリン博物館へ行け

ば閲覧できそうなので一度考えたいと思

います。

 

 

 

高浜橋から門司方面を見たところです。道沿いにまっすぐ進みます。

 

 

 

旧門司往還道はこの付近では199号線と南側のJR戦に挟まれた場所を通ります。

 

 

しばらく進むと二差路に行きつきます。往還道は右側です。

 

 

 

二差路を進むと右側に猿田彦の道標があります。この道が古い街道だったことを示しています。

 

 

 
猿田彦の先を進むと行きどまりになりその先はJRの線路群になります、
往還道はここで一旦途切れますが昔はここから現在の線路群のあったところを
海を避けて迂回するように線路群のあったところを横切り田向山直下の岩場を通り進んでいた
ようです。
 
 
 

 

一旦旧往還道を高浜橋まで戻り南側のJRの下をくぐり3号線に出ます。3号線を田向山の赤坂トンネルへ進みます。

3号線は旧往還道ではありませんが田向山手前から門司側出口までのがけ下の波打ち際を進んでいたようです。

 

 

 

田向山の赤坂トンネルの門司側出口を出たところです。旧門司往還道の田向山直下の波打ち際が難所

だったので一時はこの場所から田向山の裏を通る道を使って小倉の城下へ進んでいました。

 

 

 

オりジナルの旧往還道は赤坂トンネル門司側に出たところでこの場所から北側の松原町川に進んだようです。

 

 

 

青い線が旧往還道を示す経路です。