先週土曜日に行いました東谷フェスティバルで
の資料館特別講演の講演録です。
東谷のお遍路霊場、二市一郡新四国霊場について
二市一郡とは旧小倉市(明治33年発足、現在の
小倉北区の城下町域)と旧門司市(明治32年発
足、現在の門司港周辺域)と門司区周辺域と小倉
北区一部と小倉南区で現在の門司区と南北小倉
区です。
新四国霊場について
四国八十八か所霊場巡りは江戸時代中期から盛
んになり全国から多くの方がおよそ3か月をかけ
四国を一周して八十八か所の霊場をお遍路して
いましたが四国は遠く時間もかかるため、行きた
くてもいけない方々が近場で八十八か所の霊場を
勧奨し新四国霊場としてお遍路するようになりま
した。新四国霊場を勧奨するには「土砂引き」と
いって先達の方が本四国霊場各所の砂を持ち帰
り地元の各霊場場所に撒いて新四国霊場としまし
た。
北九州の新四国霊場
福岡県は全国的に見ても多くの新四国霊場があ
ります。特に篠栗の新四国霊場は有名ですが、
北九州にも主なものが三つありました。
島郷新四国霊場(若松)帆柱新四国霊場(戸畑区・
八幡東・西区)そして二市一郡新四国霊場でした。
島郷と帆柱は今もお遍路が行われていますが
二市一郡は残念ながら平成25年を最後に千人参
りは行われていません。
二市一郡新四国霊場の歴史
二市一郡新四国霊場はその前身の企救新四国
霊場が明治26年に発足し、その後小倉市と門司
市が相次いで発足したこともありその名称を二市
一郡新四国霊場に変更したようです。さらに昭和
2年に三谷新四国霊場が発足し、その後2つの霊
場は合併したようです。(時期等は今だ未確定です。)
二市一郡市四国霊場の現状
二市一郡新四国霊場の現状は平成25年を最後
に千人参りも終了した関係もあり現在は閉鎖、撤
去されたお堂も多いです。特に個人邸の敷地にあ
るお堂は近年撤去されたところが散見され残念で
す。また二市一郡新四国霊場は企救新四国と三
谷新四国が合体してできた関係で札所数が八十
八か所をはるかに超えています。(お堂は同じ番
号でも前札、札所、奥の院と三種類あり、また番
号記載のない番外の札所も多くあります。二市一
郡のお堂は原則、白いプラスチック製の看板
が架かげられていますがお堂の改修などで看板
を外したところも多く確定が難しい傾向にありま
す。また1番から88番までで欠番になっていた
り所在不明なところ多くあり全体像の把握が難
しいです。
東谷の二市一郡新四国霊場のお堂
東谷のお堂は私が確認した限りでは閉鎖破却さ
れたところもなく昔ながらの姿をほとんどのお堂が
保持しています。これは他の地域のお堂が欠番
になったり閉鎖・破却されたところが多いことを考
えても地域の方が大事にお守りし続けた賜物です。
これからも大事にしていただけると嬉しいです。
次回は東谷の各お堂を紹介します。