三谷昔語りは今から45年以上前に東谷
を中心として中谷、西谷を含む三谷地区
の歴史文化を深く掘り下げた郷土誌で4
,5名の郷土史家の方々の愛好会で昭
和52年から平成14年まで全274号
会報を発行されています・しかも会報
発行の他にも公民館の歴史講座や小
倉南部の方言研究などなども精力的
に開催されていました。
全274号の会報は全6巻の合本とし
て再構成され北九州市の図書館など
にも寄贈されています。
三谷昔語りの6巻の合本は私も目に
していましたがほぼ毎月発行されて
いた会報は発行期間が長かったこと
や全274号という大部のため図書館
などでも全号を読むことはできません
でしたが東谷資料館で幸いなことに
前号そろった形で保管されていました。
おかげで貴重な資料を読むことが出
来ました。というのも合本は重要なテ
ーマごとに特集されており読みやすい
のですが、会報には合本には載せき
れないちょっとしたエピソードや話題
があってその中でいくつか是非読み
たい部分があった
ので全号そろって残っていることを
知った時は大変うれしく思いました。
少し前まで東谷村の沿革をまとめ
た東谷要覧という旧東谷村の村誌
をここで紹介してきましたが今回よ
り昔語りの合本に掲載されなかっ
たエピソードをここで紹介していき
たいと思います。
今回が第一回目ですが石原町の
祇園祭について紹介します。
石原町もそうですがかつって東谷
の村々では重大な疫病や餓死者
が出るほどの飢饉などが何度もあ
り当時の村民は大変な思いをして
きました。それもあってか村内の各
町内には今も集落の守り神として
天疫神社が多く残っています。
石原町にも町内の中心部に天疫
神社があります。今回のエピソー
ドはその天疫神社に合祀されて
いる祇園様のエピソードです。
会報9巻三月号の記事です。
三谷昔語り同人で石原町在住だった内山先生(私の小学校時代の校長先生だったので敬愛の念を
込めて内山先生と記します)が寄稿した天疫神社と祇園祭の文章です。印象的な言葉は
「石原町の家が三戸になってもお祀りは絶やしません」祇園の神様に誓ったという言い伝えです。
町内では今も5月の連休に祇園さんの山車を引いてお祀りしています。


お祭りの様子です。