年半前に門司往還の探索を始めたの
ですが一年半の長きにわたり中断し
ていました。主な理由は小倉北区の
長浜から先の往還道が寸断されて
いて経路が不明でネットを探しても
もう一つはっきりしたことがわかりま
せんでした。門司往還道は概ね199
号線に沿って進んだと考えられるの
で当初は199号線がそれにあたると
考えていましたが明治期の古地図を
見ると現在の199号線辺りは当時
はまだ海際でその後埋め立てが進ん
で三号線のバイパスとして作られて
います。往還道は199号線に沿っ
てもう一つの隣に並行に走る道だっ
たようですが長浜から赤坂延命寺
にかけては明治以降JRの貨物ヤー
ドとして発展し旧道の痕跡が寸断
されてしまいました。さらに昭和50
年以降貨物ヤードが縮小閉鎖され
広大な跡地は大部分民間に払い下
げられますます様子が分からなく
なっていました。ところが最近、貨物
ヤード周辺を詳しく調査された方の
ブログを見つけて、その中に往還道
の記述が見つかったので再度現地
を確認して門司往還道探索を再開
することにしました。
白洲灯台を作った岩松助左衛門生家跡の前の道を進むとやがて
199号線に出会います。
写真の道を左折すると199号線に合流、右側は吉川工業(旧東京製綱工場)で門司往還は
中央の道を直進します。左手の199号線とは並行して進みます。
右手に吉川工業を見ながら進みます。左手には道路沿いに松が植えられており
かつては企救の高浜の松並木はこんな具合だったと思います。
右手に吉川工業の柵を見ながら進みます。わずかにカーブしている道は
往還道が明治以降、山側を鹿児島本線が通り、この道は石炭積出港の
引き込み線が走っていました。