新門司方面へ二市一郡新四国霊場の

お堂の調査に行ったついでに猿喰新田

の潮抜き穴を見てきました。猿喰新田は

約300haにおよぶ猿喰湾を干拓して出

来た新田です。江戸時代後期(1800年

頃)大里村の庄屋、石原宗祐が私財をも

って干拓したものです。工事は汐留の堤

防を作るのに大変な難工事だったと言わ

れています。潮抜き穴は干拓地からの排

水と海からの逆流してくる海水を防ぐ目

的で作られています。穴の中に逆流止水

弁のような仕組みになっています。元々4

基作られたようですが現在は2基が残っ

ています。新門司から曽根にかけての
周防灘の海岸線は遠浅で江戸時代に盛

んに干拓されました。今も先人の苦労で
豊かな水田が広がっています。


 

 

現在の猿喰新田の美田です

 

 

 

猿喰新田の説明板です

 

 

 

現在残っている潮抜き穴です

 

 

こちらは現在の止水板です

 

 

 

現在の新田の堤です。堤上は道路になっています。