以前東谷の郷土誌の中で見つけた

二市一郡新四国霊場71番札所、母

原の岩応寺について所在場所の記

事を書きましたが、所在地が不明で

その推定場所も違っていました。今回
たまたま母原の公民館長さんから岩

応寺についてお聴きすることが出来

たので、現地で確認してまいりました。

所在地ですが母原の片山集落の前を

流れる母原川を遡り最後の民家の裏

山の谷筋を200mほど進んだ先の右

手に少し開けた場所に見上げるような
石灰岩の巨岩がありそこに岩応寺の小

さなお堂があります。このお堂は数年

前に地元の方々が建て直したものです。

ここの巨岩の真ん中には祭神は不明で

すが小ぶりのお社があり前の広場には

お籠りできる拝殿のような建物がありま

したが老朽化で朽ち果てたので建て直

したようです。以前は集落の方々がお世

話されていたようですが現在は谷筋に
かろうじて踏み跡が残っている程度で

途中は倒竹で塞がれています。お堂の

周りは草を刈って維持されています。

この場所に立つと何とも言えない清い

空気感があるのでイヤシロチである

ことは間違いありません。郷土誌による

とこの場所が戦国時代には大友氏の

軍勢の陣が敷かれたとの言い伝えも

あるようです。

 

 

 

71番岩応寺のお堂は母原の奥の谷筋のさらに奥の巨岩の前にありました。

 

 

 

小さなお堂は数年前に地元の方々が建て直したそうです

 

 

 

二市一郡新四国霊場を示すプレートがかけてあります

 

 

 

お堂の横には以前の古いお堂が朽ちて置かれています

 

 

 

 

岩応寺のお堂は母原の片山集落の横を流れる母原川を

遡っていきます

 

 

 

川沿いの道を遡っていくとドン突きに民家があります。私の小学校時代の

恩師のお宅ですが今は誰もおられないようです。

 

 

 

お堂へは民家の横の道を裏山川に進みます

 

 

 

お堂への谷筋の道は倒木や倒竹に覆われています

この道を200m進むと開けた場所に出てそこがお堂です。