中谷の古川集落は小倉側から見て
桜橋手前から左折して紫川東岸を
300m進むと東側の椎山と紫川に
挟まれた場所に人家が路沿いに集
まっています。この東岸沿いの道が
かつての旧秋月街道(香春街道)で
す。この旧秋月街道沿いで桜橋から
入って山の崖が川に迫っている場
所が小嵐山と呼ばれるところです。
小倉藩小笠原家の前の藩主の細川
家の細川藤孝(小倉藩時代は隠居
して幽斎と号していました。細川藤
孝は明智光秀とともに織田信長に
仕え、その後は豊臣秀吉に仕えて
います。小嵐山は幽斎がこの場所が
京都の嵐山に似ていることからつけ
られた名称です)
古川の集落には二つの二市一郡
新四国霊場のお堂がありました。
一つは桜橋の一つ上流側の橋が
亀年橋で東岸の橋のたもとにある
お堂が25番奥の院古川毘沙門堂
です。もう一つは毘沙門堂の先を
100mほど進んで左折して山側に
進んだ個人邸の敷地に24番地蔵
堂があります。この地蔵堂の隣に
は駒繋ぎ石と呼ばれる穴がくりぬ
かれた岩があります。かつてこの
裏山の山頂には椎山城という山城
があり馬をここで降りて岩に繋ぎ徒
歩で登城していたようです。この24
番地蔵堂には他にも逸話があり三谷
昔語り合本3巻の22pから26pに
かけて記述されています。
亀年橋東岸たもとの旧秋月街道沿いに古川毘沙門堂があります
ここは25番奥の院、古川毘沙門堂のプレートが掲げられています。
この日は入り口が空いていたので内部が拝観できました。
普段はガラス越しの拝観になります。
個人邸の地蔵堂です。
現在は個人邸の地蔵堂のプレートが架かっていますがかつては
24番札所だったものです。
このお堂の両脇には自然石の石柱があります。向かって右側には観音様のシルエットを持つ
石柱が左側(北側)には頭頂部に穴をうがった加工石が安置されています。穴のある岩が
駒つなぎ石です。
以下に三谷昔語りのサムネイルをアップしておきます。ご興味のある方は
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