紫川流域に当たる東谷を含む三谷地域では自家

用のお茶を各家庭で作り飲んでいたことは以前書

きましたがもう少し詳しい事情を知りたいと思い調

べていくと旧東谷村時代(明治から太平洋戦争の

前後まで)園芸作物として柿、ミカン、ビワの作付け

を奨励していましたが本格的なお茶の生産につい

ては記載がありません。そこでもう少し範囲を広げ

て、旧企救町(紫川中流域で桜橋以北、城野あたり

まで)で郷土史を研究されている松本洋一氏の力

作の「新企救風土記(旧企救町管内の歴史物語)の

増補改訂版」の増補部分の7pに写真付きで守恒団

地が出来る前(昭和の30年代ごろまで)は守恒団地
周辺の丘陵地ではお茶畑が広がっていました。著者

の了解を得ていないので写真をのせるわけにはい

かないのですが新企救風土記の表紙写真を載せて

おきます。一度現地を詳しく調べてみたいと思います

。どこかに今でもお茶畑の痕跡があるかもしれません。