先日、自炊(PDF化)が完成した東谷要覧を少し
ずつ解説したいと思います。まず表紙の次に三つ
の詔勅が掲載されています。詔勅とは天皇陛下
のお言葉で「戌申詔書」「教育勅語」「民心作興
詔書」です。戌申詔書(ボンシン詔書)は日露戦
争後、戦争に勝利したものの戦争中の戦役や
増税などで疲弊した国民(当時は臣民)の心を
鼓舞し、質素倹約に努め一等国に列するための
道徳基準を示したものです。この詔書がきっかけ
となり、地方改良運動(今でいう地域おこし)が進
展していきました。当時の東谷村もこの精神に
のっとり自主で村の発展を期そうとしたものと思
います。教育勅語は言わずと知れた大日本帝国
憲法下の国家の教育方針です。今もその内容に
は賛否両論が絶えないですが、当時の東谷村で
はその精神にのっとり二つの小学校を建設し、隣
村と協力して高等小学校を作り教育に力を入れ
ました。このことは要覧の中で後に詳しく述べら
れています。民心作興詔書(ミンシンサコウ詔書)
は正確には国民精神作興詔書と言い第一次世界
大戦の世相を憂慮する政府やや関東大震災で不
安におののく民心を鎮め、先帝(明治天皇)の精神
に立ち返ることを大正天皇名で詔書を発したもの
です。教育勅語と国民精神作興詔書は昭和23年
の国会で無効決議がなされました。
上記の三つの詔書は当時の国家の大方針で東谷
村運営の方針として掲げられました。
表紙裏ページに三つの村是が書かれています。


三つの詔書と直後です。もう一つの村是の政策は次回に書きます。


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