先日東谷地域に柿やビワ、柑橘の果樹が多く残って

いるのは明治、大正、昭和の前半(太平洋戦争が終

わるまで)まで東谷が独立した自治体として存在し果

樹栽培が村の方針として奨励されていたからです。

なぜそう言えるのかというと大正年間に東谷の教育、

産業政策など地勢をまとめた村誌要覧が発行されて

いたからです。その貴重な写本が市民センターに保

管されていて一度閲覧したのですが貴重な資料のた

め貸し出しが出来ずにその後閲覧する機会がありま

せんでした。ところが先日亡くなった父親の資料を整

理していたらなんと東谷要覧の写本が出てきました。

これで少なくとも私の所とセンターの2か所に存在する

ことになるのでこの貴重な資料が消失することはあり

ませんが、こうして新たに見つかったのも何かの縁で

すのでこれを機にPDF化して保存することにします。

また内容も少しずつ紹介したいと思います。